2022/北海道、カムイミンタラ、リアルが無理ならイメージで

余裕~♪

・・のはずの北海道旅、いざとなると

一日目がなかなか難題でした。

  • 飛行機の遅れ
  • 千歳神社の祭事とブッキング
  • 天候の悪化
  • ドライブ必要時間の見誤り

これらにより、大雪山はパス。

グーグルの提示してくる所要時間と車のナビが提示する到着までの時間の差が大きかった事も一難でした。

だってねえ、旅の予定を組むときってグーグルに頼りませんか?

フロントガラスを濡らす雨。

・・・こんな事もあるのですねえ。

モヤモヤが旅の同行者(娘)との間に沈黙を作り出します。

パワースポットを旅する時って大抵、それなりの助けが入るものなのですが・・

それならそれのやり方に切り替えましょう。

リアルに肉体を使っての登頂は来年に持ち越し、後はイメージで行きましょう。

夜遅く、宿のベッドでパソを立ち上げます。

大雪山、頂上で検索。

本気度の高い山でした。

(これは来年まで待てがかかっても当然かな。)

(でも、それだったら準備の段階でそう言う情報が来ても良いのに?)

(軽いノリで、行ってこいや。の話しかなかったぞ。)

とりあえず息を整え、画像のイメージを内側に作っていきます。

<そこにいる>と言う感覚。

風を感じ、大地を踏み締め、息を大きく吸い込みます。

五感を順応させていきます。

五感が感じ潜在意識が納得すれば、現実化します。

昔、このやり方で私をマチピチュと繋げてくれたセラピストがいました。

イメージの中で私はリアルにマチピチュの空気を吸い込み、感覚を広げて行きます。

そして、それから10年後かな?

実際にマチピチュの空気を吸って、空を見上げてました。

なので私も、今は意識の中に落とし込む。

(来年こそ・・3回目。)

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」