私たちは、なぜ繋がりを逸した状態に陥るのか??

なぜ、地球に生まれて来たのか?

モノ好きだったから・・・だああよねえ。

 

バットマンの映画で

「なんで人は落ちるのか?」

「這い上がるため」

と言うのがあるけれど、まさにあれなのでしょうね。

 

私たちの性格は様々で、好みもばらばらだけど

ただ一点、

這い上がりたい。

という共通の野望を持って生まれて来たのかもしれませんね。

 

だから、誰の人生にも落ちる穴が用意されている。

穴に落ちない人生は楽かもしれないけれど、

後で相当悔やむでしょうね、

「あの時、穴に落ちてればよかった」

ってね・・・これは大きな矛盾かしら

 

私たちは大いなる善の世界、無条件の愛を夢見るけれど

今の進化段階では、善だけでは理解、成長が進まない。

全部許されて、認められたら、

何も学べない、自我を形成できない。自己を確立できない。

だから、嫌でも穴に落ちる必要があるのでしょう。

 

私も穴に落ちたくはないけれど・・言葉だけ紡げばよく解る。

なるほどねえ・・・ってね。

だから、地球は「ここでなくては出来ない学び」が出来る惑星と言われるのでしょう。

これから先は悪は悪と呼ばれずに先生と呼ばれることになるかもしれませんね。

昭和の歌謡曲を思い出します( ´∀` )

 

 

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ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」