前回の投稿でとある温泉宿の話を書きました。
書きながらも、自分で不思議だったのです。
「なんでこんなに食いついてるんだろう?」
「これだけ反応すると言う事は、自分にも似たようなものがあるはずなんだけど・・」
秋田くんだりまで行ってクレーム?
と首をひねっていたわけですが、昨日ストンと落ちました。
ペルーへ行った時の事を思い出したのです。
今よりも若く、いろいろと未熟だったもので
出国する前にあるチャネラーさんから、こう言われていました。
「ペルーで神様に会う事になるだろう」
なので、もうワクワクですよ。
え~神様ってどんなの?光り輝くような体験が待ってるの~?
物凄いキラキラビームが飛び交うような奇跡を体験できると思ってしまったわけです。
光り輝く神と対面する私、適なヴィジュアルが脳内で炸裂!!
リマに行って、ナスカへ行って、クスコへ行って・・
全然、そんな気配がない。
聖なる谷へ行っても・・会ったのは幼い唄歌いの少女たち
(やっぱり現実てこんなものなんだ・・何も起きない。)
(見捨てられた感たっぷり・・)
で、ラスト、旅のメインマチピチュです。
夜明けの太陽を見るために早朝のバスに乗り、マチピチュへ向かいました。
未だ太陽が昇らない薄暮の中、渦を巻くようにガスが充満しています。
その時、旅の同行者から歓声が上がり振り向くと
渦の中心に佇む様に<聖なる山>がありました。
それを見た時に、ああ、これが神様だ。
と分かったのです。が・・・
(何だ、こんなものか・・)
とがっかりもしました。
(私には奇跡は起きないんだ・・・)
あまりにも当たり前すぎて、もっとSFXの効いた奇跡が欲しい!
今となっては恥ずかしいですが、この頃は神=人型と思っていたのです。
寺院や神殿にある偶像が神、と思っていました。
だから、そう言うヒューマノイドと出会うと思っていたのです( ´∀` )
【神とはこうである】
という固定概念に捕らわれていてしまって、危うく本質を見失うところだった私。
見えるところを整える事に拘って、ホスピタリティーの本質を失っていた宿。
これは相似形のものだったのではないでしょうか?
私はこの宿の中に、私自身を見た。
固定概念に捕らわれえて、本質に気づかない私。
感じ取っているのに、感じ取っていないと失望してしまう私。
知覚を越えた感覚の世界では、私は確かに髪のエネルギーを感じ取っていたのでしょう。
でも、それは5感に落とし込めない。
知覚できないから、それは無かったのだ。と決めつけてしまう私。
そして、自分を信じきれなくなってしまう。
共鳴って凄いですね。
どんなに離れていても、共鳴すると引き合うのですねぇ。
何しに行ったんだろう?
それはずっと考えていましたが、答えは。
自分自身に気づくために行ったようです。
見える事に捕らわれると、本質を見失う。と・・・
考えるな、感じろ・・の世界参入?
簡単であり、やりがいのある事です。
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