無条件の愛は神のための愛、条件付きの愛は人のための愛。
それで良いじゃないですか?
だけど、誰かがあなたの耳元で
「次なる進化のために、無条件の愛を実践せよ、出来なかったら進化は出来ない」
とか、アホな事をほざく様なら、まずその人を疑ってください。
(こいつ馬鹿なんじゃないの)・・・と。
私に言わせれば、無条件の愛はフィールドとか空間に設定するもので、そこで活動する生き物に課するものではない。
生き物は、せいぜい憎い敵をも愛せ。くらいにしておくのが身のため、のような気がします。
無条件の愛とは例えば、絵を描くための真っ白な紙です。
何の制限もない、模様も無い、色もついてない。
だから、好きな絵が描ける。
何でもオッケーだよ、と言う空間があるから、生き物自由に生き方を決める事が出来る。
隙間の様な生態系の中でも、生きようと戦略を立てられる。
生きては欲しいけど、あれをやってはいけません、これをするのは良くありません。
等と言われていたら、生命の創造は出来ませんよね。
無条件の愛を実践すると言う事は、背景になれ。
と言っているのと同じだと思うのです。
無条件にすべてを受け入れる=真っ白な紙になれ
これはもう、生きる喜びを謳歌する生き物ではなくなると言う事を意味してませんかねえ?
憎い敵を愛する事さえ容易ではないのに、今の私たちの進化レベルで神の領域の愛が実践できるのでしょうか?
進化の時が来て、私たちの存在の在り方そのものが変わったその時こそ、呼吸をするように無条件にすべてを愛すれば良いんじゃないですかねえ。
今は一つの理想として、そっと胸にしまっておいて、何時かは!と意志を強く持つ。
海中写真提供 / Nagisa Inoue
コメントを残す