一つ大きな疑問を感じます。
生きる手段として無条件の愛は生き物のどんな戦略さえ受け入れるでしょう。
裁きは?無いのでしょうか?やったもの勝ち?勝てば良いのかしら{{
例えば人間社会にはオレオレ詐欺師がいます。
社会としては裁きの対象ですが、生命原理である無条件の愛からすると、それも「あり」と受け入られるでしょう。
ズルいものは舌を出し、弱いものは泣き寝入りでしょうか?
「裁きは無いのか?悪が許されるのか?」
とどこかで雄たけびが起きそうな気がします。
おそらく人が納得するような形での裁きは無いでしょう。
ただオートの機械のように、ある機能が働き始めるはずです。
罪悪感や倫理観が宇宙にあって、それが許さないと言う事はありませんが、バランスを修正しようとする機能は備わっています。それが働き始めます。
宇宙は超バランス、(無条件の愛)ですから。
善と悪のように強く対極に別れるようなシチュエーションを生きると、反対側のデータに不足が多く生まれます。
やっちゃった側のデータは一杯あるけど、やられる側のデータはほとんど無い。
これでは魂としての情報蓄積がアンバランスになります。
肉体の崩壊後に、その不足分を補う経験を選ぶと言うルートに入って行くと言うのは容易に想像がつきます。
それを地獄と言うのか、中間生と言うのか、来世に持ち越しと言うのか?(私は良く知りませんけど)
直線的な時間の概念を越えて行く高次元世界では、3次元世界のホラーがリアル話になって行っても可笑しくないでしょう。
3次元世界は原因と結果が離れていたから、掴めなかっただけ。
だから因果応報論は時に笑い飛ばされるトンデモ話に扱われましたが、これから私たちが生きる時の重要な心のよりどころとなるかもしれません。
五次元世界は時間は一方向に進むわけでは無いし、思考も分裂よりも統合が中心になって行きます。
二極に割れる思考こそを手放していくことが吉でしょう。
やり逃げは無理、と言う事に早く気が付くことが、明るい未来への近い道となりますね。
漬けは必ず祓う事になるだろうし、何か大きな存在の裁きによるものではない。
それは私やあなた、宇宙にも備わっているバランスをとろうと言う機能によって齎されます。
何か行動を起こす時は、同時に結果も創造している、多少なりともそう言う意識を頭のどこかに持っていると、人生が豊かになるでしょう。
写真提供/Nagisa Inoue
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