人生は旅だというけれど、どちらかと言うとドラマそのものですよね。

よく人生は旅に例えられます。

いろんなドラマがありました。今進行中のドラマもあります。

長い時間を過ごした気がしますが

それでも、これから私の本当の物語が始まるんだ!

と胸が躍ります。

私は幼い頃、いつも家にいる子どもでした。

記憶は幼稚園の入学式から始まります。

それより前は、寝ていたのでしょうかねえ?

はっきりした記憶はありません。

家にいるのが好きだから、楽しいからいるわけでも無いのです。

幼い頃、家には大人は5人、子どもは私一人。

めっちゃ退屈です。

それでも自ら、外へ行くという発想は無いのです。

その選択肢はないに等しいようなのです。

夕方4時頃が一番退屈でした。

もう少しすれば子供向けの番組が始まる。

それをじっと待ちます。

小学生になっても中高生になっても

ほとんど家にいる子でした。

夏休みは退屈の極みなのですが、家にいます。

ここにいるしかないと思っているようなのです。

時々は友達と遊びますよ。

でも、基本は家です。

大学生の頃は夏は友人たちもボーイフレンドも

故郷へ帰省してしまいます。

そうすると、やっぱり一人で彼らが帰ってくるのを待っているわけです。

社会人になって友人と一度、旅をしました。

お互い旅慣れていなくて、最後は気まずくなって帰路につきました。

以来、友人は私を誘いません。

 

結婚して、15年を過ぎた頃ですかねえ

子どもたちはティーンエイジャーになっていました。

初めて、一人旅をしました。

日帰りでしたが東北へ嫁いだ友人に会いに行ったのです。

その高揚感、自由さ・・

でも、こんな事はもう二度とないだろう。と思うのです。

友人と会うための、特別の事だから許されただけ。

帰れば、家にいなくてはならない。と

心の中で、それはもう決定事項なのです。

 

新幹線の窓から見た霧深い谷の佇まい。

駅で食べた立ち食い寿司の美味しさ。

友人との会話・・思い出は鮮やかなのにね。

 

それから何年かして

私は相変わらず、閉じ込められるような生活を繰り返していました。

ある時、歩きながら自らに問いかけるのです。

(あと何年これが続くのか・・)

と声もなくつぶやくと

10年・・と還ってきました。

気も遠くなるような年月・・・

10年後、私は南半球のマチピチュで山の向こうから現れる太陽を見つめていました。

その3年後にはグラストンベリーで、地平線から上がる太陽を仲間たちと見つめていました。

それから、たくさんの旅をしました。

人生は旅だ、と言う意味を今までになく噛み締めています。

旅だけど、私的な言葉に変換すると

旅でもあるけれど、人生は<物語>

<幸せになるための物語>だと思います。

みんな幸せになるために立ち上がる。

人生は傷を与えるかもしれないけれど

癒やしてもくれる、あまつさえ育ててくれます。

成長のために必要なものは全て与えてくれる。

それが人生でしょう。

やっとその意味が分かった気がします。

今は6月、間もなく小さな旅に出ます。

旅は自分を再生する時間です。

新しく蘇り、帰ってきます。

人は人生で何度も何度も生まれ変わるものなのだ、と

この頃、やっとストンと落ちるように解ります。

 

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

ABOUTこの記事をかいた人

古の星の記憶を持つワンダラー、です。 地球人として生まれて来たけれど、どこかすれ違う人生でした( ´∀` ) 自我の目覚めはとても遅く、三人目の子どもの出産後でした。 子育てに迷ううちにスピリチュアルな道に入り込むようになり、最初に学んだことが<戦ってはならない>という事。 子どもが育つように、意識は成長し、その成長と共にいろいろな学びをしてきました。まずレイキを学びティーチャーまで進みました。 ヒーラーとしても活動しつつ、縁があってフラワーエッセンスを学ぶようになりました。あの頃はホワード七歩子さんも健在で、一緒に軽登山をしたり、ウエールズに行って、実際にバッチ博士の生家を訪れたりしました。 今にして思えば、最初に山の面白さを教えてくれたのは七歩子さんでした。 肉体を超えた領域に作用するフラワーエッセンスは、やがて波動や量子力学へと興味を広げてくれました。 そう言えばエッセンスの講座の最後の瞑想の時に、過去生の記憶がよみがえり、のちにメンターとなるヒプノセラピストにも繋いでもらったのでした。 スピリチュアルな世界に足を踏み入れて、割と早い時期に過去生の記憶は再生されていたのですが、それはトラウマ的なもので、思い出したはいいけれど、恐怖を呼び起こしてしまって、長い事未解決状態でした。 このヒプノセラピストとはたくさんの過去生を共有し、知らない自分を知っていく面白さ、不思議さ、哲学、宇宙の成り立ち、本当にたくさんの事を教えてもらいました。 あの経験があるから今があると言えます。ヒプノを受ける事で、実体験から次元を超えた情報の取り方、透視、etc 必要なことをみんな学ばせてもらえました。 後に分かる事ですが、このヒプノセラピストは過去生の盟友でした。 今回の人生で彼女が私を助けてくれたように、いつか違う次元、違う人生で、彼女がピンチの時は私が助けに行く、と思っています。 ちょっとヒプノの方に話が集中してしまいましたが、フラワーエッセンスも楽しい経験をいっぱいくれました。 結局3回、イギリスへ赴きました。レイラインに沿って旅をし足り、過去生にかかわる所を訪ねたり、勇気がありましたね私( ´∀` ) 他にも年に何回かエッセンスのワークショップをして、時に笑い時に真剣に語り合いました。サウイーンにちなんだワークショップでは少しだけ仮装をして集まりました( ´∀` ) 背中に羽を背負ってみたり、髪飾りを付けたり、杖を持ってみたり皆ノリノリです。 そして、あの風邪騒動の到来です。 あれも一つの転機で、人生が変わりました。 母を施設に送ったり、家族を看取ったり、私自身も目の手術をしました。 人生がゼロになったかのようでした。 諦めてしまいたい私と、生きようとする私の鬩ぎ合いが長く続きました。 生きながら死んでいるような私に近所の奥さんや、友人知人が少しづつ命を分けてくれて、息を吹き込んでくれてやっとこちら側に帰ってきた。 鬼滅の刃の主人公のようでしたよ( ´∀` ) 死を覗き込むようにして過ごした1年ちょっと、そして皆既月食の夜。 雲の合間で消えそうになりながら、また現れる月を見て、自身の再生を重ねました。 もう一度生き直すなら、何がしたい? やりたいことはやりつくして、特に無いんですよね・・・ それで、答えはあるような無いような、なのですが ヒプノを受けていたせいか、高次元からの情報を受け取るようになっていていたので、そういう事にかかわることがしたいと思いました。 高次元からの情報はアセンションや未来にかかわるものがほとんどでした 巷にたくさんある情報のほんの一欠けらで、今更感もあるでしょうが 受け取った情報を伝えていきたい、私の苦い経験、あがくような経験ももしかしたら、伝えれば誰かの役に立つかもしれない。 と思ってブログ、YouTube、そしてリーディングを始めることにしました。 私からの情報を必要としている人に届くと信じて発信します