あの日のお出かけ/青森県新郷村

青森で地震の起きたちょうどその日、八戸に行きました

<青森県新郷村/キリストの墓>

前々から、そこに行きたくて予定を立てていたのです

 

せっかく行くのですから他も回れば良いのに、と思うのですが

何故かそんな気になれなくて、新郷村だけに行くことにしていました

東北新幹線で北上、正午頃に八戸に着いて、午後3時頃には新幹線に乗りました

何やってるんだろう?

と、当の本人が不思議がる旅でした

 

宿もね、最初は八戸にしょうと思っていたのが、どんどん南下して盛岡になり、仙台になり

最終的には東京に宿泊する事になりました

(ほんと、なにやってるんだろう?私)

でも、戻って六時間くらいで地震発生

(まさかあ?これかぁ?)

ですよ

 

顕在意識は何も気づいていなくても

潜在意識は知っている、

〈なんとなく〉・・な感覚に従って助かった私

 

もし八戸に残っていたら、もし仙台に宿泊していたら、その後は難儀だったと思います

被災された皆様の1日も早い日常の回復を祈ります

とともに

 

今回、北上して感じた事はを少しお話させて下さい

今、東北は辛酸を嘗めているかもしれない

でも、これからの日本を支える重要な根幹になる、ような気がしました

これからの日本の再生にはきっと欠かせないところになるでしょう

東北は災い転じて福と成す、を地で行ってると思います

3.11で大変な目にあった、でも、その御蔭でソーラーパネルの難からは守られた

車窓には破壊されていない山村の風景が続きました

 

そしてね、まさかね

南海トラフ地震が起きた時のエリアを覚えていますか?

メガソーラーの置かれた場所とリンクしている気がしませんか?

 

気のせいだと良いのですが

今日一日、あなたも私も共に平安に暮らせますように

 

 

 

 

#青森県新郷村 #八戸駅 

#キリストの里公園 

#キリストの墓 #地震

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」