人は永遠を生きる生き物、だと思う

死生観って、時代によっていろいろでしょうが

現代では死んだらそれまで、と思ってる人がまだまだ多いですよね?

試しに永遠の命とか輪廻転生とか、あなたの家族、同僚に言ってみて下さい。

そうすればこの世界での〈常識〉が分かりますよ(笑)

 

私はね、人間癌細胞は滅しようとしてはいけない。

と思うのですよ。

あなたはどう思います?

がん細胞はメスを入れると転移して広がるでしょう。

人間は肉体を失うと無限の人生を手に入れると・・と思うのです。

 

【死んでから、本当の人生が始まる】

のではないでしょうか?

 

昔々、この秘密を知っていた誰かが真実を隠したのではないですか?

人間は死んだら終わり!

・・と思ってもらった方がやりやすい

そういう意図を疑ってしまいます。

でも、身近な人達を見ていると、実際そうなのですよ。

肉体を失ってこの世界から存在が消えたはずなのに・・

生きている人々の内側に宿って一緒に生きいる

破壊するべき肉体がないのですから、それは永遠の命を得たのと同じです。

 

例えばね

<私と祖母の話>

祖母は生前はお茶が大好きだったそうですが、私は全く気づきませんでした。

祖母が他界して十年以上経って、初めて知りましたが

何故か孫の私は日本茶が大好き。

 

<友人の娘さんの話>

おばあちゃんが大の花好き。

生前、自分で育てた花を仏壇に上げて、備えていました。

友人の娘さんはインドア派、ゲームばっかりやって育ったはずなのに、

気がつけば家の中が植物だらけ。

サボテンだとか観葉植物だとか育て始め、おばあちゃんと同じような事を言っている

「自分で育てた花を家に飾りたい」

 

人は肉体を失うと、共鳴する人々の中で再生されるのではないでしょうか?

肉体は有限ですが、魂は無限です。

入れ物の肉体を失う事で、本来の在り方に戻るのではないでしょうか?

死ぬ事で存在を不変のものに出来るかのようです。

だからね、死ねばおしまい説は嘘だなあ、とつくづく思います。

古代文明の宗教は死後の再生を信じていました。

私たちのひいおじいさん、ひいおばあさんも信じていたはずです。

 

じゃあ、私達は?あなたは?

知らぬが花なのは誰なのでしょう。

真実は大衆が認めようが認めまいが、変わらず真実なのです。

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」