人類の目覚めのための13STEPS/step2愛とアディクション

STEP2:私達は宇宙意識<愛>にシンクロします。

これは間違いです。

やらかしてしまいました。

 

ごめんなさい。

愛への共鳴はSTEPの最後に扱われてるものでした。

 

宇宙的な修正が入ったというか、それも必然だったというか・・

なので、内容を少し修正させていただきます。

 

(改めてと言うのも・・恥ずかしいですが)

愛って何?と考えていくと

本来の意味と通説的に使われている意味の間に乖離があるのが分かります。

あまり考えていないと、愛でないものを愛と呼んで受け入れてしまう可能性大です。

愛は依存心やコントロールのもとでは育ちません。

と言う事は、アディクションではない。

と言う事です。

 

アディクションを愛と勘違いしている状況は多いような気がします。

算数を子どもに教えても、愛とアディクションの違いは教えませんからね。

 

2つのものを見分けるにはいくつかポイントがあります。

  • 自由があるか?
  • 成長という(育むという)余白があるか?

少なくともこのあたりは、確認してみると役に立つと思いますよ。

 

I love you.を「今夜は月が綺麗ですね」

と訳した夏目漱石のように、直接愛を説明しなくても愛を知ることは出来ます

恐怖から派生するものの筆頭に不安があるように、愛から派生するものもあります。

自由があるか?育むという姿勢があるか?

 

それを確認すれば、少なくともあなたが信じる愛の輪郭を知ることが出来るでしょう

身を焼かれるような激情は愛の証なのか?

それともアディクションなのか?

 

あなたが恋愛関係に入る前よりも自主的な力を失い、

パートナーがいなければ何も出来ない、と思うようになっていたら

それは恋愛ではなく、恋愛依存症の可能性が高いでしょう。

身を焦がすような情熱は恋愛依存症のアディクションを疑ったほうが良いですよ。

 

アディクションに程々はありません

アディクションは断つか、絶たないか?

の2択だけです。

 

ね、愛って微妙で、時に厳しいでしょう

愛って優しいだけじゃないのですよ。

 

人類の目覚めのための13STEPS

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ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」