私の旅/二つ目の課題/ 戦闘放棄

スピ的な世界を知った時・・・私は乳飲み子を抱えていました。

おむつを取り替えて、洗濯して食事を作って日が暮れる。

(宇宙の声と言うものがあるなら、聞いてみたい・・)

不思議な憧憬に誘われて、たくさんの本を読みました。

本の断捨離をした時には全部で123冊のスピ本を持っていました。

これはちょっとは自慢してもいいかなとは思っています( ´∀` )

 

遠い日を思い出すと・・

あの頃の私は喧嘩っ早かったかもしれない。

私はすぐに人を敵味方に分けていました。

出来事が対立的になった時、敵に攻撃された、と解釈してしまうのです。

しかも自分は弱いと思っているので、攻撃に情け容赦がありませんでした。

やられる前にやる、を実践していた気がします。

 

手加減無しで一番痛い所を狙いますから敵は粉々に堕ちていきます。

私は勝ちます・・・一瞬ですけどね。

そして、なぜか負けるのです。

 

ある時ハッとしました。

敵に与えたダメージが自分に返ってきている!

 

【やったら、やられる】

これは真実でした。

 

戦ってはならない、を実践する時が来たのです。

戦わなければ・・平和が訪れるはずなのですが・・・

戦わなくなった私を弱いと見てマウントを取りに来る人達がいたのです。

(嫌な感じです)

攻撃を受けながらも、私はその人を観察しました。

そうすると彼女もやはり、同じでした。

 

自ら蒔いた種によって自滅していく。

じっとしていると、その様が有り有りと見て取れるのです。

戦いの渦中にはまっていたら見えなかっでしょう。

 

じっと見ていた私は、摂理というものを肌感覚で理解していきました。

【何も反応しなければ、カルマは正確に返っていく。】

(注意/暴漢を黙って見過ごせ、と言う事では無いですよ)

もしあなたに対して過ちを犯した人がいたら、感情的に巻き込まれない事です。

あなたは自身の心の成長を求め平安を求め、自分の道を行けばいい。

そうすればある時(すぐにではないですよ。)

あなたに過ちを犯した人が自然と正される場面を目撃するでしょう。

 

私の場合の一つの例として

小学校のRTA役員をやっていた時に私を陥れ汚名を着せた人がいました。

(ママ達も結構やる事はやるんですよ)

 

時間が経ち、子どもたちが中学生になった頃

彼女は衆目の面前で私に頭を下げ、お願いをしなければならない。

という立場に追い込まれました。

 

能面のような顔を作っていましたが、内心は悔しかっただろうなと思います。

カルマの清算に公的な裁判は、必要ありません

あなたにだけわかる形で謝罪は入ります。

でも、それにも前提がありますよ。

あなたの精神が成長し波動が彼らよりも高くなっている、という状態が必要です。

あなたと彼らの精神が同じレベルでお互いにやったりやられたり、補完する関係だと謝罪は起きないかもしれません。

お互いを必要としているからです。

 

 

ここまでの話を振り返ってみて、現実的な行動が必要ない、と言っているわけではありません。

リアル暴力は止めなくてはいけないし、逃げるが勝ちも正論です。

もし、あなたがみどりの窓口で並んているときに、後ろに並んだ男性があなたを押しのけて先にカウンター行こうとしたら、

「私が並んでます、次は私の番です」ときちんと言いましょう。

 

それはカルマ以前にお互いのためだから。

現実が何らかのアンバランスな状態にある時は、それを是正するための現実的な行動も必要です。

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」