人生には出来ないからこそ出来る事がある、というお話

もし人生を振り返って、簡単にまとめるとしたら
<何もできない、思うようにならない>人生でした。

  • 望んだ大学に行けなかった
  • 望んだ仕事に就けなかった
  • 望んだ人と結婚も出来なかった。
  • 結婚後は、まるで家に閉じ込められているかのようだった。

母と夫と2人の人間を背負って、3人の子どもたちの手を引いている私。

文字にすると悲惨・・・

この二人さえいなければと、ずっと思ってきました。

でも、今になると、この二人のおかげで人生が成った。と思います。

二人がいたから、BLACKエンジン全開で飛ばすことが出来た。

平和な日常だったら巻き起こらない上昇気流が起きて、高く私を上昇させてくれました。

平和な日常、団欒が展開してたら、ここまで来なかった。

何の不満も無く毎日テレビを見て、食べて眠ってました。

厄介な障害は、実は人生をシンプルにしてくれます。

望むことに集中させてくれて、余計な寄り道を極力減らしてくれる。

障害物のおかげで選択肢が無くなるんだもの、目標までの道のりがクリアになります。

ロープの張られたトライアスロンルートを全力で走り抜けるようなものよ。

人生には何もできなかったが故に、出来る事があります。

矛盾だけれど、出来ないからこそ、出来ちゃうんですよ。

もし、あなたの前に憎ったらしい障害がドーンとそびえたっていたら

ありがとうと言ってみると良いですよ。

最善、消えていくかもしれないし

細やかでも未来ヴィジョンがハッキリしてきます。

もしかしたら、人生は揉めているうちが花かもしれません

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」