沖縄/ エデンの島にかかる虹

沖縄にエデンの園に例えられる島があることを知ってますか?

<古宇利島>と呼ばれる島が、それだそうです

今回、初めて知りました。

地図で言うと沖縄の真ん中より上ので左の方です。

ガイドブックにも乗っている不思議な岩、ハートロックがあるそうです。

 

近くをドライブしていたので、古宇利島へ向かう事にしました。

ただ、なんとなくハートロックにはたどり着けないような気がします。

(島に入って終わりなんじゃないのかなあ?)

 

その日はにわか雨が降ったり止んだりでした。

スコールにはならない雨だったので、先行きはおおむねグリーンのはず。

島にかけられた長い橋を渡って行きます。

ブルーの美しい海にかけられた一本の橋。

マリンスポーツを楽しむ人影が目の端にチラチラ見えます。

 

島に入って、アレ?と思いました。

(ナビではCafeのあるはずのところに、Cafeがない・・)

 

土地に慣れていないので、こちらが気づかなかったと言う事もありうるが・・

道路沿いの様子からアメリカンな感じが伝わってきます。

違和感が無くもない・・・

 

だんだん、気配がきな臭くなってくる。

別に危険はないのですが違和感が強くなってる気がするのです。

けど前進あるのみ、後続車が何台も続き、脇道も見つかりません。

坂道を登っていくと、眼の前にパーキングがあられました。

千載一遇、ウインカー作動。

とにかく突き進む車の流れから離れたい。

が、入ってみてもパーキングの中も一杯。

 

思考が働くよりも第六感が働くほうが秒早かった。

(帰ろう!)と決意。

うまい具合にスペースが空いてU-turnオッケ~♪

 

何を感じ取ったのか?

未だに説明できないけど

「ここは、いる場所じゃない」

と思ったような気がします

 

帰り道も海は美しい。

この美しい海で何があったのか?

沖縄の歴史を知りたいな、と思って見つけたのがエデンの島の話。

もしかしたら太古の地球には複数のエデンの園があって、複数のハイブリッドアダムとイブがいたのかもしれません。

あっちこっちで遺伝子操作をやっていたのかも

 

今回の沖縄旅は雨が多かった。

夏の沖縄に来る時には、もう一枚衣類を持っていくことをお勧めします。

ずぶ濡れになることもあるかもしれないから

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」