絆って何だろう

絆が大切だ、って最近はよく言われるじゃないですか?

でも、絆って何ですか?と聞かれた時

あなたはスラスラスラッと文脈に出来ますか?

私は出来ませんでした。

 

絆は絆よ。

と思って深く考えたことは無かったのです。

でも、改めて言われてみると、こうですとは言えない。

言葉だけは知っていて、使っていて、だけど具体的な事は知らなかったのですよ。

 

これあかん!と思って、思いを巡らせると

仲が良いとか、優しいとか

そう言う薄っぺらい事ではない気がしてきます。

 

記憶を遡ることうん十年。

娘が高校生になるかならないかの頃を思い出します。

あの頃は2人で出かけると娘は大抵不機嫌になってました。

なぜ不機嫌になるのか?心当たりはありません。

謎の理由で機嫌を悪くしむっつりと黙り込んでしまいます。

 

何度帰り道で

「このまま置いていこうか・・」

と思い悩んだことか

 

本音はその辺に置いていって一人でスタスタ帰ってしまいたい。

しかし、それをグッと堪えて娘と足並みをそろえ黙って歩く。

内心はコチラも煮えくり返ってるのにね(笑)

 

今のところ、このあたりが私の落としどころかな。

良い人だから付き合う。

気が合うから、優しいから、利益が見込めるから、でもなく。

 

良くも悪くも、腐れ縁(笑)的な何か。

無条件の愛なんておこがましい、何か。

 

 

注:パラノイア気質の人には

この辺りはあまり理解できないらしく

何時でも、離れます。

と言う姿勢を貫いた方が良いらしいですよ

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」