連絡の取れないアホ息子に手紙を出しました、ラインでね。

これが結構良く書けているのですよ、我ながらほれぼれしちゃう。

このまま御蔵入りは勿体ない!なのでここにアップしておく事にします。

気になった方、お時間のある方よろしければこのままお進み下さい。

 

我が息子でもあり、不肖の弟子でもあり、盟友である◯◯君へ

あなたの受験に挑む姿。をこなしていくいく様子、感心してみていました。

病にも忍耐強く耐え、決して諦めなかった。

 

オセロをひっくり返すように、物事を打破していく姿はカッコ良かったです。

でも、同時に何も出来なかった自分をまざまざと見せつけられ、心が焼けるようでした。

 

私は20代でろくにキャリアを積むこともなく親の言いなりに結婚してしまいました。

結婚後は社会的な繋がりも失い、あとに待っていたのは孤独に耐えるしかない長い時間。

  • 仲間がいる
  • 才能を発揮する場がある
  • チームが組める

私は良いな、と思います。

 

私の人生、覚醒の時

あなたはきっと他人には見えない苦労がある、誰も彼もが仲間じゃない。

とぼやくでしょう。

それでも私は羨ましいです。

 

私の精神的な覚醒は遅く、生まれて間もない3番目の乳飲み子を抱えていた時でした。

あなたの三人目の兄弟です。

盲が開かれるとい言うのはああいう事を指すのでしょう。

意識がはっきりして、人生全般を見渡せました。

 

結婚生活が満たされていた事は一目瞭然。

しかも人生の大切な事は全部選択してしまった後で、残された自由選択は死に方を選ぶことだけしかない。

そう思えました。

 

いつの間にか私の人生は私の嫌いなものであふれかえっていました。

嫌いな男、嫌いな職業、嫌いな人間たち

これらの嫌なものを全部初期化しようとするとあなた達まで初期化しなければならない。

それは出来ない相談に思えました。

 

現状で最善を尽くすと言う事

よく聞く言葉ですが、私自身もメンターから散々言われてきました。

充分にそれが出来たとは思えません。

結局、嫌いなものを好きにはなれなかったのです。



それでも、人生を振り返ると

やはり人には伸び時があると思えます。

 

50代まではなんのかんのと言っても成長は可能です。変化は起こせます。

でも60代になると、ガラッと変わります。

人生の答え合わせが始まるのです。

これには私も驚きました。

 

以前のように変化のための圧力もかかっては来ません。

もう高くは飛べないでしょう。

 

その代わり、それまで得られなかった人生の解答をみつけるとが多々あるようになりました。

人生が完成のターンに入ったのだな。と感じています。

再度言いますが

【現状でベストを尽くせ。】

それは本当です。

 

私はできなかったけど、本当です。

今、経験していることの中に全てがあります。

 

たとえ今は人生はばらばらの暗号の集まりに見えたり

人生は価値のないもののように感じられたとしても必ず謎が解ける時が来ます。

そして、それは気が遠くなるような時間の果てではありません。

すぐそこの未来です。

 

自身の健康を気遣い、周囲の人への穏やかな気遣いを忘れず、

男であるという誇りを持ち、武士のようにかっこ良く生きて下さい。

最近は誇りのない人が増えてような気がします。

 

私にとっての絆とは?

私は喧嘩の耐えない家庭で育ちました。

だから温かい団欒も知らないし、コミュニケーションも他の人よりも下手かもしれません。


そういう私が絆について最近考えるようになりました。

絆ってなんだろう?ってね。

 

あなたの妹が高校生の頃、外出先で原因不明のままプンプンになる事が多々ありました。

私はムカついて置いていこうか?

と逡巡しながらも彼女を見捨ててこなかった。

 

これが私なりの絆かな、と最近思うようになりました。

良い関係だから繋がっている、というわけではないということです。

良くも悪くも波があっても繋がっている。

 

それが絆なのかな?と思い始めています。

でもこれはパラノイアには言わないほうが良いらしいですよ。

 


そしてあなたとの間にも絆はあると思っています。

丸抱えの赤ちゃんのような長男。

それでも社会的には漢として生きているのだろうから、まあ良いか。



この世界のどこかであなたが暮らしている。

私はあなたの帰還を待つ。

それが私なりの絆かな?と思い始めています。

勘違いしないでね、さっさと帰ってこい。

と望んでいるわけはありません。

 

好きなだけ、好きなようにやって下さい。

私はメソメソしながら、◯◯君早く帰ってこないかなあ

と空を眺めてはいません。

それはあと10年くらい先の話です、多分。

 


猫と戯れ、時々マージャンをして、絵を描いて。

ご飯を食べて、時々は喧嘩もして日々を暮らす。

そうやって、この世界に私がいる。

【あなたには帰る場所がある。】

ということですかね?

私が言いたいのは。

 

でも、無理に帰ってくる必要はありません。

良いのです、あなたがこの世界で呼吸をしていれば、安堵していてくれたら最高だけど。

人生は短いけど、魂は永遠です。

 

一つの人生で出来る事には限りがあります

一回の人生で全てを得る人間も、全てを理解する人間もいません。

魂の成長には時間がかるのです。

そして、何一つ無駄はありません。

 

ペルーに行く前にあなたに会えて良かった。

私が人間らしさを失う前に会えた。

それで充分です。

もうちょっと、笑っていては欲しかったけどね( ´∀` )

 

あなたが、目にしている事、体験している事に最善を尽くしなさい。

人生は永遠じゃない。

時間は限られていて、出来る事も限られている。

神も誰もあなたに完全性を求めてはいない。

足掻きなさい、泣いて笑って、

そのしょうも無い事が人生です。

 

 

何を選んでも選ばなくても

必ず、出来なかったこと、取りこぼした事、答えを出せなかったことは出てきます。

 

それで良いのです。

人は全てを得ることは出来ない。

得たものから宇宙を察し、世界を知れば良い。

だから人それぞれ答えは違います。


母はねえ、そう思うのよ。

では元気でね、◯◯君

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」