2つの現実と3つの選択肢

日常的にスマホがあって、タブレットがあって昨今は現実が一つとは限らない。

生きる事は複雑になったのでしょうか?

 

デバイスの中にある、もう一つの現実。

バーチャルとリアルの2つの世界で生きる事が可能なのが現代?

 

でも、この2つの世界の乖離が激しいな。

と思う事が多々あります。

デバイスの中の世界は争いばかり、リアルな現実はのほほん、のほほん。

危うく多数と違う意見は言いにくい。

 

二つの世界を波乗りをするように生きてる人もいれば

バーチャルの波に半端飲み込まれ、どっちがリアルか怪しくなってる人もいるはず。

我関せず、情報を制限し安全なお花畑(過去)に立てこもってる人もチラホラ、ですよね。

 

人それぞれだから、それも良しなのでしょう。

でもね・・・でもねえですよ。

 

この地球で私達の現実は2つでも、もしくはもっとたくさんあったとしても

選べる選択肢は3つです。

  • 現状維持
  • 変化(成長、進化する)
  • 停止(絶滅)

 

このうち、現状維持はもはや、破綻しています。

残るのは変化か、停止の2択

人類の状態は、あれと一緒ですよ。

【夏休みの最後の日にならないと夏休みの宿題をやらない小学生】

皆、身に覚えがあるでしょう?

ん?今はそれさえも無い?

 

でも私達、結構・・ギリ追い詰められてませんか?

もう新学期は目と鼻の先!

 

ちょっといつもと違う事、今まではと違うことをしてみましょうよ。

時間のあるうちに、選択肢が残されているうちに。

ダメ元でいいじゃない。

 

バタフライ・エフェクト。

あなたや私の小さな足掻きが、世界の何処かで大きなうねりになって返ってくるかもしれませんよ。

それはありえますよね?

 

何もしなかったら、無為に時間は過ぎていき、新学期が始まってしまいます。

停止はパスしたいなあ。

 

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」