人生の最後に残る物

人生とは結局は時間。

きっと長く見るか、短く見るか、それだけなのでしょう

 

若い頃、自分の目標や大切な事を明確にしたい時

人生があと一ヶ月しかなかったら?

と想像しました。

 

一ヶ月ですよ。

長期展望の計画は立てられません。

うかうかしてると光陰矢の如しです。

昔は誰に会いたいとか、何処どこに行きたい。

とか、そのくらいしか思いつきませんでした。

今、同じことを考えると・・

 

所有、保存、保管などが意味を失います。

奪うも同じです。

 

ひと月より先の未来が無いのですから

10年先の心配のために物を持っている必要が無いのです。

 

他人との比較も意味がなくなります。

戦いも必要ないでしょう。

 

怒っても憎んでも、エネルギーの無駄。

自分は消えていくし、相手もいなくなりますから。

勝っても、嬉しくないし、意味が無い。

時間がより大切になります。

意味も無いことに時間を取られたくないし、嫌いな人と時間を潰したくもない。

残り一ヶ月は、宝物です。

 

愛が大切だというのは本当なのだと、なんとなく溜飲が落ちるでしょう。

許しもそうです。

愛と許しは、あと一月という時間にセレニティを与えてくれるはずです。

 

本当に大切なものはなんなのか?

それを知るために何百冊もの本を読みました。

でも、読むだけではたどり着けなかった。

 

人生は永遠ではない。

もしかしたら、そこに理解が至るだけで、簡単にわかることだったのかもしれません。

一億円、何十億円持っていても、一円も持たない人と同じく生命は一ヶ月。

 

愛を世界に贈る。

残りの人生をそうやって過ごせたら、

これまでの人生が不平不満だらけでも

人生は素晴らしい、と言えるはずです。

 

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」