NEW EARTH VISION/意識の進化、奪うから与える意識へJump!

未来の話をしましょう。

この世界は図らずも、ネガティブな影響を受けやすい世界です。

対立構造を生みやすいとでも言えば良いのかな?

言葉を変えると、獣らしさがまだ抜けないと言う事になるのかな?

どんなに文明が進化しても社会レベルが安定しても【奪う】と言う、行動パターンが抜けません。

これまでの世界で当たり前だった【奪う】と言う行為が、高次元の世界ではご法度となります。

【与える】、【与え合う】と言う事がスタンダードになるからです。

ほら、天国と地獄のたとえ話を覚えてますか?

天国の住人は長いお箸でお互いに食べ物を与え合うのでいつも満腹

でも、地獄の住人は・・・💧

これですよ。

そういう事もあって、未来のある時点から労働は無くなるそうです。

仕事をしないと言う訳ではないのですが、働く人自身が労働をしているとは思っていないのです。

今ある言葉で一番近いのが『ボランティア』かな?

義務でも責任でもなく働く。

生活のために働くわけでもなく

好きではないけれど、仕方ないから働くわけでもありません。

それぞれが、《喜び》なのです。

決して<労働>と思って携わっていません。

決められた時間、決められたルールで作業に没頭するわけでもないし

幼少期からの訓練もしません。

今日はパン屋さんでパンを作っていたとしても、明日は外でペンキを塗っているかもしれない。

直感と意欲で働き方を決めます。

皆ファジーが当たり前なのです。

夢のような未来ですよね。

でも、今日と言う人生きぬかなかったら未来にはたどり着きません

結局未來は今の変形なのですから。

私が言うのも変だけれど

今ここにあるぬくもりと危険を、しっかりかぎ取って。

今年を無事に生きぬかなかったら、未来は無い。

今、地球は夜明け前の暗さを経験しています。

希望が無いわけじゃない、あなたの中にある。

あなたが希望。

#アセンション後の世界

#労働と創造

#二元対立を超えて

#高次元の世界

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」