あるのが当たり前の夏休み、ほんとに当たり前?

梅雨入りしたと思ったら、一気に暑くなりましたね。

紫陽花も枯れそうな暑さがたまりません。

 

そう言えば、子どもの頃、

来年の話をすると鬼が笑う、と聞いた気がします。

 

だとすると、この間の私は良い笑いものです。

娘と海外旅行の話をしていましたから。

「来年は一緒に海外旅行へ行こう」

娘がそう提案してくれたのです。

 

韓国は・・だから、ヴェトナムが良い、シンガポールも良い。

いっそグリーンランドあたりに行って銀河光を見よう。

などなど話は膨らみました。

 

でも、内心は虚しい。

走馬灯に浮かび上がる絵柄を見詰めるような白々しさが漂います。

 

来年、その先の未来。

ただの可能性の塊です。

 

今日と言う一日無しに未来へは辿り着けません。

内なる世界だけで人生が完結して社会性を失っていたらどうなる?

こう見てほしい、と言う希望通りに世界を見ていたら?

現実に何が起きているのか?気づきもしなかったら?

 

未來は彼らのものです。

私にもあなたにも欠片も舞い降りてこない。

 

馬耳東風ではニューアースには辿り着けません。

特にこの夏はそういう夏になりそうです。

あるのが当たり前の夏休みじゃない。

あったことがありがたい、と懐かしむこともあるかもしれない夏休みです。

 

いつも言うけれど未来は今の中にある。

今、選択肢を間違えたら未来は大きく偏ってしまう。

今にかかっています。

 

いつでも未来には2つ以上の選択肢がある

未来が今になるまで一つの事象に統合されません。

 

何を選ぶかで未来が決まる。

今年の夏はことさらに、そういう時です。

 

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」