Peru/物事には、旬がある

春の筍、夏の玉蜀黍、食べ物に旬があるように、物事にも満ちて退いていく旬があるようです。

今回ペルーまではるばる行って、そう思いました。

 

 

旬を外したなと思う理由

いろいろありますよ。

なぜ、そう思うか?

と言う話をこれからしていきますね。

試しに聞いてみてください

 

通貨/円の価値、ソルの価値

初めてペルーに出かけた時の米ドルは120円、ペルーの通貨ソルは10円。

2度目の2025年は

米ドル150円、1ソル40円

これだけでも旬を逃した感あるでしょ。

 

空路/昔はヒューストン、今はニューヨーク

なぜなのか?

その理由は見当もつかないけれど、昔は太平洋側のヒューストンで乗り換え

今はアメリカ大陸を横断して向こう側のNew York

 

当然、乗ってる時間は増加、イライラです。

腰が痛くなるし、ほら~足があれよ。

エコノミー症候群、寸前パンパン。

 

マチピチュでは自由散策は許されない

以前のマチピチュには

【あえて、崖から落ちる自由】

が認められていたのに、今はありません。

ただのフォトスポットと化した世界遺産

順番に通路を歩き、見栄えの良いPOINTで順番に写真を撮る。

写真を撮り終えると他にやることが無いので、どうすると思う。

ぼーっと

 

 

サンクチュアリロッジの閉鎖

隣接するサンクチュアリ・ロッジは閉館。

ランチの利用も宿泊も出来ません。

↑サンクチュアリ・ロッジの中庭

昔はレストランで豚の丸焼きを焼いていたのに・・

今回ご厚意でお庭を見せていただけたのは幸いでした。

 

ナスカの地上絵/昔は片道30分、今は片道4時間

以前はナスカの地上絵を見るのは簡単なことでした。

リマから飛行機に乗って、約30分

午前中に見てしまえば、ランチをしてまた違う観光が楽しめました。

でも、今は飛行機会社は廃業

往復8時間をかけてバスで移動します。

一日がかりで移動して、30分くらいのフライト時間。

(写真の中にハチドリあり)

 

二日間と言う飛行機での移動の後にこれはキツイ。

股関節が歩き方を忘れた!とばかりにギクシャクしてました。

 

こんな感じですね。

そして、10年もたつと、当時良いなと思った諸々が変わっているので

似て非なり、と見えやすい。

 

きっと、私よりもっと前にペルーに行っていた人が私の話を聞くと

昔はもっと良かった、と言うと思います。

 

自然の力、みたいなものがどんどん弱くなってるんじゃないかな。

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」