いつのまにか始まる?サイキック能力の訓練

世の中には生まれながらのサイキックもいれば、後天的にその力を開発する人もいます。

その場合サイキック能力の訓練はとても単純な指示を受け取る事から始まるようです。

単純な繰り返しが何年も何年も続くとがある・・とか。

 

訓練の目的は信頼の構築とエゴの解体。

神様よりも俺様の神経だと、ミッションの遂行は無理ですから

だから、ただトンネルの中を歩くかのような継続あるのみ。

多分、訓練の終了の頃にその意味や価値、使命が明かされるでしょう。

 

私の場合‥それらしいことは 毎朝、思いついたことを書き留める。

そこから始まりました。

なぐり書きでも、暴言でも泣き言でもいい。浮かんでくることを書く。

そうすると、長い愚痴の羅列の中に、はっとするような1文を見つけることがあります。

 

一銭にもならないけど真理を突いている、と思える短い文章。

(間違ってはいない・・けど、だから何?)

と思いつつも続ける。

 

やがてモノローグはダイアローグになり

自分の中のサブパーソナリティ同士での会話が始まります。

心理的なデトックスでもあるよね。

最後はハイヤーセルフで締める。

ハイアーセルフは、本当に私が言ってるの?と思うようなこ良い事を言うんだなあ。

 

そして、長い訓練の末に【情報】を受け取る時が来る。

理屈を超えた情報、裏付けもない、確証もない確認も取れない情報を信頼できるか?

情報に基づいて、行動が起こせるか?

 

┐⁠(⁠´⁠ー⁠`⁠)⁠┌ また試されます

スピ的な道は急がば回れ・・ですね

 

螺旋のように上昇するとはよく言ったものです。

 

 

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」