愛に生きるか?カルマにしがみつくか?

人間は生きていると、割といろいろやらかすものです。

愛を学びに来ているはずなのに、何故か違うものにどっぷり沼に浸かってしまったりする。

この沼に捕まってしまうと、意外と長引く。

いくつもの人生で同じことを繰り返して、今生の死を目前にして、ハッとしたりする。

またやっちゃった!と気づいても、人生はあと数分?

・・・(笑うに笑えない)

愛を学ぶためには二つの道があると言われています。

一つは他者との関りの中で愛を学んで行く道

もう一つは自分とのかかわりを通して学んでいく道です。

前者はいわゆる他者の中に自分を見る、と言う事。

良きも悪き、すべて受け入れる。

他者の中には自分の暗黒面ダースベイダーがいる。

故に他者を受け入れる事は、自分のネガティブ面を受け入れる事につながります。

故に与える事=受け取る事(逆もまた真)

もう一つのベクトルは、自分の内奥へと深く深く降りていく方向

自分の中にエゴを超えた自己がいる。

さらに奥へと進んで行くと個が消えていく。

たどり着くところは人類の集合意識

種としての一なる意識

さらに・・・奥にはCOSMOS(宇宙)、意識が拡大され広がっていく。

星々の世界・・宇宙創造の神へ続く道

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ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」