YAP遺伝子の目覚め

日本人の男性に多く伝わる、というYAP遺伝子というものをご存知ですよね?

私は良くは知らないのですが、東アジアでも日本人と何処かの少数民族のみ、と聞いたことがあります。

 

この遺伝子、お特別らしいです。

何がどう一目置くものなのか?

さらに良く知らないんだけど、凄いらしい。

でも、弱点もある。

めっちゃ大きな弱点。

 

たかが遺伝子、されど遺伝子。

要するに活動できるようになってなければ、意味も価値もない。

 

成人よりは子どもの方が恐くない。

赤ん坊ならさらに。

生まれて無ければ・・・ただの情報。

 

体を持たない遺伝子なんて、絵に描いた餅さあ。

何もできない、絵に描いた餅。

だから、女性と子どもが狙われるんじゃない?

子どものうちならどうとでもなる。

活動可能になる前に消してしまえ。

女性がいなければ、生まれることもない。

 

正解?

 

そう言えば

昔、見たオーメンと言う映画では悪魔の子はちゃんと赤ちゃんで生まれて

成長して、大人になるのに

あとから生まれた神の子は、酷いよね、ルール無視。

成人した状態で現れてた。

 

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ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」