望むなら人生には2つ目の誕生日がある

最初の誕生日は?もちろんこの世に生まれた日

でも、それだけじゃない( ´∀` )

 

私たちはこの人生で、もう一度誕生することが出来ます。

もしかしたら、それが本当の誕生日かもしれない。

 

それはエゴの声ではなくて、心の奥底から聞こえてくる魂の声を人生の指針にする時

もちろんのその一歩手前には我々ではなく、私と言う単位で行動すると言うステージもある。

 

例えば私の場合・・それはとっても遅かった。

私と言う感覚で生き始めること自体が遅かったから、とっても遅いと思う。

私と言う感覚を取り戻したのは、もう結婚して母親になった後。

子どもを育てながら思春期を過ごし始めたようなものでした。

それまではずっと、母の一部でした、母の手の延長線、母の出来なかったことをやる身代わり。

 

子どもを抱っこしながら、思春期お決まりのあれをやったのです( ´∀` )

「嫌だ!」の連発。

 

母が反対したことは、大抵やりました。

「マチピチュなんか行けるわけがない」

と母が断言したので、行きました。

あの頃の母は大慌てで、親類に娘が悪い子になった!

と訴えていましたっけ。

 

何とか、私を元に戻そう。

自分がコントロールできる状態にしようと必死でした。

 

私が少し回復し自分から離れた、と思うと

引き戻しが始まり、一歩進むとストップがかかり

母と私の対立は深まる一方でした。

 

世界で一番良い人だったはずの母は大敵に変わりました。

でも、母の一部として生きるのはまっぴら。

エネルギーを吸い取られて生きるのも嫌。

 

何が起きて来たのか?

理解した私が二度と母の一部に戻る事はありませんでした。

私は母の言う事を聞く良い子を止め、

母の指示で動くロボット、も卒業しました。

 

私はたどたどしくも、答えを内側に求め始めたのです。

魂の声を聴きながら生きる人生の始まりです。

 

 

 

 

 

 

以来、もとに戻ることは無く、戻りたいと思ったこともありません。

 

それから長く自分自身と向き合う時期が続きました。

生理周期あって、ホルモンの交代に合わせるように頻繁に感情がネガティブに傾きました。

そのヘヴィな感覚を

「亀を頭に乗せてるようだ」

と、自嘲するに笑って言ってました。

 

何年も何年も恐ろしいトラウマと向かい合い、自己不信、自責の念、低い自尊心

共依存、コントロール様々なものと対決してきました。

 

批判したり否定したりすると、全く同等の力が襲いかかってきます!

解決策は受け入れる受容しかない。

と頭では分かっても行動には移せない。

 

なんとなく人生に落ち着きとバランスが表れたの3年ほど前。

やっと肩から力が抜け、人生を見渡す余裕が生まれました。

 

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」