誰の人生にもブレイク・スルーのチャンスはある

誰の人生にもブレイク・スルーするチャンスが用意されています。

それには<心の傷>がカギになる場合が多い、と聞きます。

 

誰のためでもない。

利権がらみでもない。

ただ自身を癒したいと言う気持ちで自分の心と向かい合う。

そして一回だけでは無くて継続的に続ける。

それがそのままブレイク・スルーの準備になるようです。

 

自分が苦しくて、楽になりたいから挑む。

本人は必至です。

だからこそ、手抜かりなく取り組むでしょう。

 

自分のためと思って続ける小さなことが、やがて他者のためになる潜在能力の開花につながる。

  • 誰にも気づかれない一日一善を実行するとか
  • 毎朝、必ず短い自分との対話を試みるとか
  • 自分のインナーチャイルドのためにガチャポンをやるとか

人によって、様々です。

 

自分を癒すと言う事に取り組むことは一石二鳥( ´∀` )

心の傷を手当てしながら、未来のための準備ができる。

ブレイク・スルーのための力を蓄えることが出来る。

いつか臨界点を超えると、人生が変わる。

美味しい料理が食べたくてレストラン通い、気が付いたグルメ本を書いていた。

一人で泣いた涙は、他者への共感、差し伸べる手に変わる。

 

人生は無駄じゃない。

誰の人生にも未来のためのベースを作る時期があります。

泣いたり、悔しかったり、怒ったり、その時は大荒れだけれど

必ず、あなただから見つけられる輝く光がある。

闇が晴れて太陽が昇るように人生が変わる。

続けていれば、諦めなければ、

人生が与えてくれた準備期間に気づき、自分を理解するでしょう。

 

その日は近い。

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」