パパの言う「ママをくすぐれ!」は正解なのか?

春の温かな日差しが嬉しい季節になりましたね。

今日は少し昔話をしましょう。

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我が家にも子育てに忙しい時期があり

1日の締めに皆で囲む賑やかな夕ご飯は、ご馳走と言う時がありました。

思い出すと、懐かしいです。

 

これは長男が幼稚園にまだ行かない頃の話です。

その頃は夕食の後に皆で見るテレビが有り、団らんがありました。

 

ある時、お酒も入り興が乗った夫が、私を後ろから抑え込んで、息子に

「ママをくすぐれ〜」

と仕向けたことがあります。

 

息子は無邪気に喜んで、私をくすぐろうと寄ってきましましたが

私は怒髪天を突いて怒りました。

「息子に何をさせるんだ??」

 

うまく言葉にできませんが、それは良くない!

本能的にこれは良くない!と感じたのです。

息子はママが怒り始めたので、鼻白みました。

夫はただの冗談じゃないか?

冗談のわからないやつと、怒る私を怪訝そうに、ヘラヘラしていました。

 

あなたはどう思います?

どう感じます?

これって、冗談で済むこと?

怒る私が変ですか??

 

もし、私がこの冗談に乗って、そのまま息子にくすぐられていたら

私達夫婦はこの子に何を教えることになったのでしょう?

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それは良くない事だと思いませんか?

 

夫のこの冗談は。

これは幼い息子に女を辱めて良い、と教える事になりませんか?

大人の男が、幼い男の子に女は辱めて良い、と教えることになりませんか?

 

思い出してもムカつくわあ。

野生の動物が幼獣に狩りを教える時

わざと弱めた獲物を与えて狩りのやり方を教えるでしょ、あんな感じがします。

息子からしたら、何を学ぶのでしょう?

パパがママを抑え込んで自分にくすぐって良いと言う。

くすぐる場所によっては性的なニュアンスを醸しだこともあるのではないですか?

 

そう言う気持ち悪さがないですか?

幼い頃に、歪んだ事が正常な常識だと刷り込まれてしまうとその子の世界は歪みます。

常識そのものが、ズレてしまでしょう。

家庭で母親を辱めて良いと育った子が、外で女性を尊重しますか?

 

まだ言語も思考も充分に発達していない年齢です。

理屈を超えた潜在意識に良からぬものが刷り込まれるのではないですか?

は残念ながら刷り込まれたまま成長した子どもの成れの果てだと思います。

 

家庭と社会が違うことを子どもに教えたら二重バインドになりませんか?

矛盾する2つの価値観を持っでしょう

社会向けの(建て前の)常識と、家庭の(本音の)常識

カルトなんかはこれですよね。

言葉にしにくい、ヒンヤリとした憎しみを感じざるを得ません。

 

女性が漠然と憎しみを感じるようなことが日常、家庭内で判別もされず批判もされず、まかり通ってませんか?

大丈夫ですか?

あんまり身近過ぎると、人はそれに気づかなくなります。

 

お父さんがああで、お母さんがこうだから、これで良いんだ。

なんて思って育った男の子がいるんじゃないですか?

ちょっとヤバいかもしれませんよ。

 

アホはうちの夫だけだったかしら?

 

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」