旅日記⑪/久高島in沖縄/神と言う存在

久高島にあるカベール岬は以前は違う呼び方で呼ばれていたそうです。

「いつの間にか、カベールと呼ぶようになった」

と島の人が納得いかなげにぼやきます。

 

久高島は沖縄の神話で原初の神が降り立つ聖なる島です。

沖縄本島の斎場御嶽から、久高島を拝み見る場所があり、琉球王朝の方々はこちらから礼拝したそうです。

今の私たちは王族さえもめったに行かない聖所に、観光で行っているわけですよ。

畏れ多いですね。

 

さあ、ここからはあなたも一緒に考えて下さいね。

神はなぜ久高島を選んだのでしょう。

すぐそばには沖縄本島があるのに。

 

もしあなたが神様だったら、どちらを選びますか?

久高島と沖縄本島、なんなら石垣島でも良いよ。

あえて久高島を選ぶ理由は何でしょう?

 

( ´∀` )こう想像してたらどうでしょう?

神には長時間の陸上活動が難しかった。

久高島だったら、すぐに海に辿り着けます。

神は陸に上がったばかりの魚類や両生類のように、水を欲していた。

いきなり100%陸での暮らしは出来なかった。

だから久高島を選んだ。

 

久高島なら長く陸を歩いていても、干からびる事はありません。

浜辺からドボン、崖からドボ~ン出来ます。

 

昔から文明を伝える神は海から上がってく来ました。

久高島の神も、そういう古の存在の仲間なのでしょう。

れっきとした神ですよ。

私たちを超えた神。

畏れるべき神です。

 

侮りは禁物です。

 

 

 

 

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ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」