旅日記⑨/久高島in沖縄/月と太陽

実は、久高島に来た目的の一つは水晶です。

私の部屋に一つの水晶があり、

これが、いつの間にかくすんでしまっていました。

 

この石がね・・・

(月の光で浄化して・・・)と囁く。

 

へ~へえええ~?

じゃあ、家の窓の外に一晩おいておけば良いね。

(いや、いや!)

 

へ~~~、じゃあどうしたいの?

(久高島・・)

 

久高島は日帰りだよ。

(一泊すれば良いじゃない)

宿泊施設なんかないよ、あるわけないじゃん。

(あるよ、ある)

 

急遽、日帰りを一泊にしました。

夕食提供アリの宿からはお断りされ、調べてみたら、月の出は深夜。

涙目です。

そんな時間にフラフラ出来る?

人が眠る時間帯だよ。

 

苦肉の策で、4時頃を狙います。

その頃ならまだ空は暗く月はまだまだ見える位置のはずです。

2時~4時は危ない、恐い、行きたくない。

 

この島に来てから、知ったのですが

久高島は朝陽を見る島だそうです。

ここに来る人は朝日がお目当てで宿泊する、とか?

(勇気があるなあ・・)

 

午前四時、自然と目が開きます。

当然のように外は真っ暗。

身支度を整え、そお〜っと部屋を出ます。

外気はまだまだ寒く、ひんやりしています。

案の定、街灯はほぼ無し。

 

幼い頃にあったような夜の闇。

島の人はあると言い、私は無いと言う光量。

真っ暗な道、スマホと曲がり角にある蛍光灯だけが頼りです。

 

海岸に行けるか?

イシキ浜に向かう道を少し進んでみます。

集落から離れていくので、当然前方に灯りはありません。

いくらスマホを掲げようと真っ暗です。

・・・・足が進まない。

(ごめんなさい、怖くていけません。)

手にした水晶に謝る。

 

ならば船着き場の方へ行きましょうか?

こちらも同様、真っ暗。

墨を流したまま蠢くような海に近づける?

何?この肝試し状態!

 

フェリーの案内所のあたりが、島で一番明るい、。

ここしか行けるところがない。

空を見上げると、ちょうど月ご真上に見える。

(ここだ〜!)

 

しばらく浄化タイム、

もう怖くて怖くて、1秒が長い。

 

やっと浄化が終わって、部屋に戻ると、入れ違いであのカップルが出かけるところ。

一緒に朝日を見ましょう。

と誘われたけど、そんなお邪魔虫(笑)

丁寧にお断りしました。

朝日は5時半に出るという話

少しゆっくりしてから海岸に向かうと、どこにいたんだよこの人たち!

ウジャウジャとは言わなけれど、先客がいるいる。

まだ太陽は出ていませんが、明るくなっています。

 

こういう景色は一人で楽しみたいよねえ。

人がいるだけで場の振動数が下がる。

朝日はきれいだったけど、3箇所くらい探しちゃった。

早いもの勝ちのルールは神ノ島にもあった。

朝日を見て、部屋に戻った時はもう抜け殻よ。

目的はすべて果たした、あとはいかにこの島を脱出するか。

 

Escape、Escapeナルハヤでえ(⁠@⁠_⁠@⁠)

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」