魂の黎明/【誰々のせい】からの卒業

窓の外は春だけど、まだちょっと寒いです。

当たり前すぎて、書く事も無いと思っていましたが

(いや、アリかあ・・・)

と考え直したので、書いておきます。

 

精神的な成長、魂の進化を望むなら、越えなくてはならないハードルはいくつかあります。

STEPを実践してもしなくても、これだけは全員が押さえておきたい事。

【誰それのせいで・・】⇐やめる

自分以外の誰かに責任を取ってもらっているうちは成長も進化もありません。

あなたのいるその場所は機能不全と言う依存の沼です。

その沼を抜け出したければ

誰かに責任をってもらう心を改めましょう。

それは責任の回避かもしれないし、甘えかもしれない。

 

どちらにしても進歩はあり得ません。

個人ですらない。

歪んだ集団心理です。

群れで生きてる。

 

悪役がいなくても生きられるようになりましょう。

あなたの心に敵がいなくなれば、自然と外側の敵もいなくなります。

まず、敵がいる状況を作る必要が無くなりますから。

(私はそうでしたよ。)

 

誰かのせい、と言ったら、

「私は被害者です、負けちゃった」

と言っているのと同じですから

プライドがあるなら意地でも言うな、言わない方が良い。

だからね

出来事にあなた特有のストーリーをあてはめるのをやめましょう。

起きた事は起きたままにしておくべし。

太陽はあなたが見ていても見ていなくても西に沈みます。

 

そして、判断しない。

見たもの聞いたも、全てを自分に関連付けて判断する必要は無い。

と言う事を受け入れましょう。

あなたが責任を持つのは自分の事だけで良い。

 

あんまりなことがあると、つい

「あいつのせいで・・・」

と叫びたくなることもありますよ、人生だから

叫んでも良い

 

だけど次の瞬間には、

責任は自分にある、と言う事を思い出して

世界を平らに見ましょう。

(そこに許しがあると、良い味が出る)

 

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」