娘よ、その勝負に勝っていいのか?

秘密だけど、うちの娘の机の前には

【私は勝つ】

と言うアファメーションが掲げられています。

 

まるで大学受験をする学生みたい(笑)

30代になったのに、まだ受験してるの?

 

なんとしても勝ちたい、何かがあるのでしょう。

これを聞いたあなたは娘は勝利すると思います?

どう思います?

 

私は勝つのは難しいと感じます。

今が20世紀なら勝てたかもしれません。

 

でも、今は21世紀、しかもアセンション後の世界です。

昔とはいろいろ勝手が違うのです。

過去、アセンション前の世界は物事を二つに分けて、片方だけを受け入れる。

そういう世界でした。

でも、今は違います。

 

アセンションした世界、高次元化した世界では分けるでは無くて受け入れるです。

勝負と言う言葉には矛盾があります。

勝ったら、その瞬間に負けが決まります。

勝つ事と負ける事は高次元的に同じなのです。

だから、矛盾を受け入れつつ、同時に闘いの意志も手放すよう求められます。

 

だから?

勝つ負ける、ではない軸を持つ事が必要となります。

もしくは<勝つ事と負ける事>を同時に理解する事。

一つの絵、一つのストーリーとして理解する事です。

 

これは負け、あれは勝ち。

と分けているうちは、道は厳しいです。

うちの娘は絶賛分けて、分けて、分けまくってます。

 

三つめの軸、それを娘が早く見つける事、

勝負に隠れる矛盾に気づく事を祈ります。

 

笑いがあると良いよね、

ギスギスを吹き飛ばしてくれる笑い

( ´∀` )

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」