南海トラフが起きたとしたら?【淡路島】が鍵かも

こんにちは、こんばんは

今日の話も何の確証も無い、独り言なので気楽に聞いてくださいね。

 

南海トラフの話です

もし南海トラフと呼ばれる地震が起きるなら・・

それは人為的なものではないか?と私は怪しんでいます。

あなたはどう思います?

 

事前に起きる起きると言われてきた事がそもそも怪しい。

まるで事前準備、計画性があるみたいに感じてしまいます。

それに、私たちって、天災だと思えば受け入れるけど人為となれば諦めないでしょう。

だから天災だと刷り込まれてきたんじゃないかな?

戦意喪失のために。

 

ここは日本ですから、何某かの地震はあるでしょう。

でも、それは南海地震とは違うんじゃないかな?

 

一度・・起きてしまったら

価値あるものが失われて行くでしょうね。

報道もされないまま。

(ゾッとします。)

 

地図を見ていて思った。

(災害が起きました、どこを警戒すればいいのか?)

淡路島

理屈はないのだけど

 

警戒/日本の高速道路には検問がない

  1. 淡路島→佐田岬→九州<宮崎空港>

九州には鉄道が無くて、そこへ辿りつくルートがある。

鉄道がないと言う事は人目がないと言う事でもあるし、これじゃないかな。

 

2.日本列島の背骨を辿るように下関を通るルート。

災害がどのくらいのダメージを与えるのか?

にもよるけど、日本の高速には検問がない‥よね。

 

料金所じゃ車の中までチェックしないから

一般車両やボランティアを装えば、一気に宮崎空港へたどり着ける。

 

バーチャルの話なので、細かい現実は知らないけど、そこまで行けば

沖縄に辿り着ける。

 

日頃から知っておきたい事とその時に気をつけたい事

水源注意

平素からどこにどんな水路があるのか把握しておいた方が良いと思う。

池、沼、沼沢地、ダム、川、地下水路もそう。

 

昔話で河童や人身御供、人柱の話が残っていないか?

意外と馬鹿にできない情報があるかもしれない。

 

幼いお子さんがいるご家庭は日頃から

「水源に近づくな!」

と、言い聞かせておいた方が良い。

 

災害時、子どもが一人にならない工夫が必要

災害時には親から離れるな、と教えておいた方が良い。

例えば、一人でトイレに行かないとか

なるべく知っている大人と一緒にいるようにする、とか

すぐに駆け付けるボランティアは怪しいと言う事。

事前準備していないとすぐには駆け付けられないはず。

 

大人同士の絆が子どもを守る盾になるはず

お母さんたちはなるべく横のネットワークを作ってい置いた方が良い。

お仕事をしていると難しいかもしれなけれド、今はリモートもあるし何かできる事を探して。

連れていかれるのは一瞬だから。

互いに子どもを一人にしないですむ絆を作って。

子どもを見ている誰かの目が必要。

複数の母親が連携すれば、守りは固くなると思わない?

 

私の場合/ウサギ行方不明事件

うちで飼っていたウサギがいなくなったことがあって

訳も分からず、探しようも無く、茫然と空を見つめていた時がありました。

あの喪失感、無念さは‥人だったら計り知れないと思う。

 

最後にもう一度繰り返します。

もし、事が起きたら淡路島に続くルートを押さえる事

淡路島に渡ったら、一気に四国を抜けて九州に出られる。

 

大型車両で移動する必要は無いのだから。

ボランティアを装ったって、一般車を装ったって行ける。

宮崎空港まで行かれたら、沖縄まであっという間。

その先は追えない。

 

あくまでも、私の想像です。

こんな風になったら嫌だな、というつぶやき。

 

災害対策の何かの役に立てれば幸いです。

大難が小難に変わって、平和な日常が続きますように。

あなたの健やかな日々を願っています。

 

 

#南海トラフ #人為の疑い

#巨大地震 #フェイク?

#地震のメリット

#淡路島

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」