末期癌/父/ヒーローは意外なところから現れる

父が病に倒れた時は50代の後半

私の年齢は秘密(笑)

 

食事ができなくなった父のために母は毎日、根菜から作ったスープを運んでいました。

医者のアドバイスは体が必要とするもの食べるのが良いとの事。

大学病院へ向かう道沿いに八幡様の社があります。

「八幡様のところの信号を青で通ったことがない。いつも赤で止まる」

母は悔しそうに溢していました。

 

大学病院までは車でおよそ90分。

母も頑張った、と思います。

 

ある時、私も同行しました。

大学病院に着くと母がパーキングに車を止め、私は父を車椅子に乗せて病院の玄関に向かいます。

自動ドアが開いて、さあ入りましょうと思うと、なんと!

 

車椅子が溝に食い込んで動かない。

普通なら力を入れれば動かせるのですが

私その時、妊娠してました〜!

 

流産が怖いでーす。

動けなくて、まごまごしてると

誰かが来て、車椅子を押してくれました。

車椅子はいとも簡単に前進しました。

 

「ありがとうございます」

と言って、その人を見るとやせたおじいさん。

私は目を見張りました。

筋肉隆々の若い人が助けてくれたのならまだしも枯れ木のようなお爺さん。

 

病院の中に消えていく後ろ姿から目が離せません。

人が人を助けるってこういう事か・・・

まさにヒーローがいました。

 

私たちの全員が誰かのヒーローになれる。

それは私たちが強いからじゃない。

それは私たちが弱さを知っているから、痛みを知っているから。

だから誰かを助けられる。

 

全員が誰かの光になれる。

(ん?・・どこかで聞いたことがあるような)

 

 

 

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#真実を伝える勇気

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#痛さを知っているから、慈愛が生まれる

#末期癌 #新薬の危険

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」