末期癌/優しい人たちに囲まれた父の話

もし、あなたの傍に、一番聞きたくない事を言ってくる人がいたら噛みつかない事をお薦めします。

それはもしかしたら<幸せ>なことかもしれないから

 

税金払いたくないのに、払え!と言う人がいたら

嫌煙するのではなくて、話を聞いてみたらどうかな?

 

感謝は難しいかもしれないけれど、

「必要としてません」

と、突き放してしまうのはもったいないかも。



真実を知らされない傲慢と孤立

なぜ、こんな事を言い出したのだろう?

あなたは訝しむかもしれませんね。

なぜかと言う・・と父の事を思い出したからなのです。

 

父は小さな自営業を営んでいました。

元気いっぱいに働いてきた父は私が結婚したころ、初めての入院をしました。

強健な人だったので、本人も周囲も意外な話でした。

 

が、この時、既に末期の癌。

父はヘビースモーカーだったのです。

 

短期入院はずだったのに、いつまでたっても退院の話になりません。

父は苛立ちが募っていきました。

帰りたかったのでしょう。

 

医者から病に関する【本当の説明】はありませんでした。

お茶を濁したような話ばかり、症状の改善はない。

これじゃあ私だって、不安になります。


父はとうとう怒りを爆発させて医者に詰め寄りました。

医者は沈黙を守り、土下座して謝ったそうです。

死期が迫る事を知らせないのが、その頃の善だったのかな。

 

限られた時間、知っていれば出来た事もあったはず

「死期が迫っている」

とは言わない医者。

父は何を思ったでしょう。

医者は何を考えていたでしょう?

死は生きていれば当たり前に迫ってくるものです。

死なない猫がいますか?

私たちの全員が永遠に生きるのに、父だけ死ぬ事になったのでしょうか?

 

死は人生の一大事なのに・・すべてが死を迎えるのに。

それなのに本人は何も知らされない。

それでいいの?

 

知っていれば父は自分の人生を完結させるための、行動をとったかもしれない。

残りの人生を慈しみ、家族に愛を伝えたかもしれない。

懐かしい友人と再会したかもしれない。

それが全部、他人によってコントロールされたのです、ゼロに。

私かこう思うのは時代の変化でしょうか?

あなたはどう思いますか?

 

敢えて嫌われ役を買って出てきてくれている人は稀

人生にはこんなこともあるから

優しい言葉だけあれば良いと言うものでもないし。

時に鋭い言葉でしか、伝えられない事もあります。

でもいきなり切りつけるように話されるわけでは無いはず。

少しづつ伝えて、大丈夫。

と思ったら伝えられるものだと思う。

 

だから、せめて話には耳を傾けよう。

言われたくない言葉であっても、聞く余裕は持とう。

安全と安心だけでは人は成長しないから。



優しくあなたを慰めてくれて、気持ちよくしてくれる人はもちろん大切にしたい。

でも、痛い言葉はもっと有益な事を示唆してくれているかもしれない。

特にあなたが達成したい目的・使命があるのなら。

 

人の人生で一番大切なものは何でしょう?

私は【時間】だと思います。

苦しみから目をそらして暮らしていくのなら、何時になったら本当に安心して暮らせるのでしょう?

今、目の前の苦しみに受け止めるなら、明日からでも安心した暮らしは可能です。

どちらが有益な人生なのでしょう?

 

 

世界には光と闇があるように、出会うヒールにも意味がある

父のことに話を戻すと、

もちろんのように父は他界しました。

何も知らないまま、目が見えなくなって、食事も出来なくなって最後に使われた薬が合わなくて他界しました。



がん治療薬が新しい物に変えられることになり、私がその薬を大学病院へ運びました。

お腹に長男がいました。

八か月くらいだったかな?

その日のうちに父は容体が急変し彼岸へと旅立ちました。

妊婦には良くないからと気遣われ

私は父の最期に立ち会う事もありませんでした。


人生にはいろんなことがあるでしょ。



だから、あなたが言われたくない事、見たくもない事、認めたくない事を

言ってくれる人がいたら、寛容でいてください。

私はその方が良いと思うな。

あなたの人生が良い方向へと進んでいきますように。

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」