ヘザー/懐かしいアイオーナの原野、夕陽

アイオーナを目指す旅の途中で、仲間は空中分解!

ぎすぎすしたまま日本に帰国しました。

確か、空港に旅行代理店の社長さんが出迎えていたような・・・

アイオーナ/民宿かな?ホテルではない①

そう言えば、ペルーに言った時も一名、腹痛で帰国できなくなり

添乗員のいない観光客だけで成田へ帰ってきましたっけ。

 

海外に行くなら現地に事務所があって、不慮の出来事にも現地時間で対応できるところをお勧めします。

時差があるとね、日本では夜中に対応と言う事になるし

やっぱり、現地の事は現地が一番速やかに動いてくれます。

アイオーナで食べた朝食

10年以上前の旅の話ですが

アイオーナの原野は時々懐かしく思い出します。

置いて行かれたからじゃないよ。

 

その人もいない寂しい場所に咲く花があるのです。

フラワーエッセンスに使われるヘザーと言う花

一般向けには寂しがりで、それを混じらわすためにお喋りをすると説明されがちな花です。

アイオーナの民宿?ホテルではない。②

でも、この花は環境エッセンスと言われ

とても大切な事を伝えてくれます。

 

わざわざ、この花は人家の賑やかな場所ではなく人気のない原野を選びます。

アイオーナの暮れてゆく夕陽

人家の灯りは遠く、地平線のところにわずかに輝く・・小さくね。

 

でもこの花は自ら毒を出し、他の花が自制できないようにして、この場所を占有します。

水平に視線を巡らせると孤独や寂しさや、切なさが広がるのに

一旦目線を上に向けると・・・

遥かな天空迄遮るものは無し。

これがヘザーの神髄です。

 

明けきらない薄暮の中に目覚めた時など、

このヘザーが咲く、アイオーナの寂しげな景色を思います。

 

胸のところがほんわかと温かい・・

猫さんがまるっくなって眠っています。

幸せな時間・・

 

 

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」