飛行機ロストからのアイオーナを目指す旅

アイオーナを目指すイギリス旅行は出だしから散々でした。

車の事故に飛行機のロスト

日が暮れても行くところもなく時間は刻々と過ぎていきます。

 

現在ロンドンにいるのに、泊まる宿は無し。

まもなく午前零時を迎えようという深夜に日本人4人のグループはカフェに入りました。

小さな旅行代理店なのでイギリスにオフィスは無し、現地スタッフも無し。

深夜の日本の事務所でテンヤワンヤで宿泊施設を探してくれています

旅程が狂ったおかげで泊まれた豪華ホテル①

途方に暮れている時に旅行代理店の社長から電話がかかってきました。

彼は私たち旅行参加者に謝罪したいとツアコンのお坊さんに言ったそうです。

そしたら、そのツアコンは、お馴染みさんに電話を回したのです。

(こいつアマチュア?)

豪華ホテルのウエルカム②

そして、それで終了。

お馴染みさんが社長からの謝罪を受けて、円満解決。

切ってしまった。

 

・・・・これで良いの?

(何?この村意識。)

もちろん、カチン!ときましたよ。

私は根に持つから( ´∀` )

 

その夜は何とかロンドに近いビジネスホテルが見つかって、すんでのところで野宿は免れました。

でも、一回逸してしまった、旅程を戻すのは大変!

飛行機もバスも満席、あるのは長距離の電車飲み、それも満員。

電車の窓からイギリスのなだらかな丘に自生するゴースをぼんやりとみているしかない。

旅程が遅れたおかげで泊まれた豪華ホテル③

 

半日以上電車の移動、そして翌日バスでの一日の移動、何とか夕方にアイオーナ到着。

海外でアドレナリン・フルみたいな感じだったか疲労感も無かったけど

国内だったら、へとへとだったと思う。

 

一緒に行った人たちは元気いっぱいで、動いてないから動きたいわけ。

ずっと乗り物に乗ってただけだったから。

島の反対側に行く!と言いだして、私もついていった。

一人で至ってつまんないでしょ。

アイオーナの海

日本のような厳しい山岳は無いから、平地の移動で簡単に島脳向こう側に出られる。

一時間歩いたかどうか・・

そして、島の中央はウサギの〇〇が一杯散らかっているような原野、地平線までずっと見渡せるようなところよ。

 

石畳かな一本の道が続いていて、そこを辿れば向こう側の海に出られる。

みんな喜んじゃってね。

足早に言歩いていく、体力が私とは違う。

置いていかれちゃった・・寂しい

頑張るんだけど追いつけなくて、人影はどんどん先へ行ってしまう。

・・・とうとう見えなくなった。

分かる私の気持ち?

 

はるばるイギリスまで来て、人気も無い原野に置いてきぼり。

虚しいよ。

立ち止まって、360度見渡したって、人家も無い、標識も無い。

猛獣もいないかもしれないし、人さらいもいないよ、でも寂しい景色だよね。

 

やっと追いついて、海に出るとツアコンは大きな岩に上って、ご機嫌

二人の同行者もそれぞれに楽しんでいる。

全く私が遅れている事を気にかけている人がいない、これも寂しい。

ツアコンのお坊さん

やっとの思いで、辿り着いてこれを見たらどう思う?

これに懲りて、その後は大手を選ぶようになりました。

後にも先にも、こんなツアコンはこの方だけでした。

 

決して、悪い人ではなかったし、お世話にもなったのですけど

・・あれは寂しかった。

 

で、それから旅がぎくしゃくしたなあ。

ツアコンのお坊さんに私を置いて言った事をどう思うか聞いても

なんの悪びれる風もない。

「今は旅程から離れた、自由時間だから」

とか言ってな。

 

だから、私は

「日本に返ったら社長さんと話をする」

と言ったんだわ。

世話にはなったんだけどねえ・・・

 

追伸

そう言えば、旅の始まりの時に

何度もこの旅行代理店の旅に参加しているお馴染みさんから

「この旅は基本ほったらかしだから、合うか合わないかだけ」

と念を押されてました。

 

誰がチーフなんでしょうかねえ?

帰国してから社長にそれを確認しましたが全面的に否定してました。

 

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」