NEW ERATH VISION21 / ポールシフトを乗り越えた街は自治独立コミュニティとなる

過去記事の再投稿2020年頃

ポールシフトと聞くと

メル・ギブスンのあの映画が思い浮かびました。

トータルリコールじゃないし、あれ・・

そう、マッドマックス。

何でか知らないけど、あれを思いました。

ポールシフトの時

私たちの電気の文明は

一斉にダウンすると聞きます。

上空の電離層が消えて

真空の空間から風が、物凄い勢いで吹き込んでくる、とか

どんな状況ならその風に耐えられると思います?

地下に潜る?それとも海に?

スペースシャトルで宇宙に避難?

いったい何人の人がそれが可能なのでしょう?

どちらにしろ、相当なサバイバルになるでしょう。

でも・・幸いなのは

都市が残る、と言っている事です。

人とのつながりがライフラインを支えるとも

もしかしたら【都市】の概念からして違うのかもしれません。

これから国家は弱体化していくと聞きます。

私達のよりどころは、それぞれが住む土地のコミュニティだけと言う可能性は大です。

大きく全体としてまとまる前に、私達は小さくまとまるそうです。

この話はその時のための準備として語られているのかもしれませんね。

それに未来は一つではありません。

沢山あるうちの一つの話です。

違う未来へたどり着く可能性は限りなくあります。

だから、今日の私たちは充分に生きて美味しい夕ご飯を食べましょう。

今を100%生きることほど未来を変える妙薬も無いでしょうから

・・・・・・・・・・・・・・

と言う過去記事でした。

どっとはらい

#Ascension #未来の国家

#ポールシフト #災害

#コミュニティの参加

#コミュニティが拠り所になる

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」