1対100<心の天秤のbalance>2

社会的に貢献していれば、家庭は・・

と言うお方は最初から結婚などしなければ良い。

と思う。

 

いつかその時が来て、あなたは生命維持装置と一人語りをする。

そこに入って行けるのは誰かな?

考えたことある?

 

ビジネスの仲間じゃない、飲み友達でもない。

趣味の仲間でも、不倫の相手でもない。

残念ながら、あなたが恩恵を与えて来た人は、そこにいない。

 

あなたが、話すことも無くなったよ、

とボヤいていた身内だけ。

死ぬ間際に嫌いな連中に囲まれるわけ。

 

話が合わないから・・・

視座が違うから・・

降りてこれないほど登っちゃったんだ?

それで良いの?

 

生命維持装置の音が低くうなる時、その手前、もう少し前

そこでも、降りて来ることは出来なかったのかな?

世界が狭いのはどっちかな?

 

魂をつなぐシルバーコードが切れる時

ビジネスパートナーは何と言ってくれるかな?

一回30万円とも言われるディナーは、意味を持つかな?

秘密の彼女はキスしてくれるかな?

 

泣いてくれるかもしれなけど、入っては来れないよね。

あなたの手を握るのは、誰?

・・医者?

 

シルバーコードが切れてしまった後

お金はどこに行くんだろう?

ついてきてくれるかな?

くれるわけないよね、三次元限定のものだもの

お金に次元移動は出来ない。

 

お金を得る対価に何を支払っていたんだろう?

体重かな?カルシウムかな?睡眠かな?

もっと別のものかな?

 

大人になっちゃうと誰も教えてくれないね。

自分で気づくしかない。

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」