1対100<心の天秤のbalance>

例えば・・

あくまで例えばの話だけれど

100人の人に、毎日10000円づつ、ギヴして

100人の人、毎月100万の月収が見込める仕事を与えて

100人の人に毎年10000000円の年収の見込める投資の方法を教えて

 

星の数ほどの人に感謝されて、良い人だねって称賛されて

「人生の成功者だ」

って、羨望された・・として

対極で、たった一人の人から奪っていたら

誰も見ていないから、と貶めていたら

誰も知らないから、価値は無いと打ち捨てていたら

 

その人の天秤のバランスはとれるのだろうか?

1対100の均衡は取れて

一人の人に何をしても許されるのだろうか?

 

99人に施した善行の分、お釣りがくるのだろうか?

「もう2、3人にやっても大丈夫!」

と言えるのだろうか?

要するに社会的に貢献していれば、お金を稼いでいれば、地位があれば

家庭で、家族に何やっても許されるのか?

大いに疑問!と言いたいです。

 

あなたはどう思います?

社会的な知名度なり財力なりがあれば

外側の人からほめたたえられていれば

家庭で何をやっても良いのか?

と聞きたいです。

 

私は人生をかけて、それが疑問!

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」