足元から地面が崩れていくような話

昨夜は埼玉で行われたフォーラムに参加していました。

会場は活気があったし、面白かった。

真面目な話をしつつ、ちゃんと笑える所もある。

その話の中で日本で行方不明者が一ヶ月約80人と言う数を聞き、固まりました。

日本に都道府県は54

一つの県で毎月一人から二人いなくなっている、と言うはずじゃないですか?

身近に聞いたこともない!

今朝、試しに私も検索してみました。

この表に辿り着くのはすぐでした

V字に折れるグラフと水平のグラフと混在しています。

谷になっているのは、あのコロナの頃

さすがにみんな自粛していて、行方不明にさえならなかったらしい。

でも、よく見ると世界の動きに影響を受けずに変わらない数を出しているグラフもあるわけです。

お年寄り層と9歳以下の子どものグラフ

お年寄りは何となくわかりますよ。

うちの母もじっとはしていなかったから、解る。

でも、9歳の子どもは親の保護下にいるはず、親が家にいるなら家にいます。

と言う事は?

家の中からいなくなったと言う事?

まさか、親の了解の上に?

そうでもないと連れていけない気がする。

しかも私は、高野山でこれの縮図じゃないか、みたいな経験をしているのです。

YouTube 高野山宿坊普賢院ホームページで紹介しない【女性限定部屋】

私の身に何も起こりませんでしたけど

線と線が繋がるような感じで気持ちが悪いです。

あの時は宿坊協会の方にすぐに訴えて

じゃらんにも話を通しました。

さすがに宿坊協会は謝罪してくださいました。

じゃらんはプランの中身まで把握していないと言う事で関知せず。

私の口コミ投稿も趣旨に合わないと削除されました。

担当者の方が、親身になって対応してくださったのがせめてもの事。

知らないって事はやばいことですか?

スピ的な界隈ではうっわあ???

と言いたくなるような話は結構聞いてきました。

でも、それが実証されて行く時代?

常識の枠が軋みます。

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」