リフォームは2025年にもう一度

あの夏の暑い日、散々お騒がせしていた我が家のリフォーム

‥覚えてますか?

あれから、さらにすったもんだして

やっとお互いの合意点を見つけてることが出来ました。

 

私と彼らの主張を規定ください。

【私の主張】
全部丸っと作り直して、ドアも床も食器棚もキャットウォークもやり直し。

  • 食器棚、釘が出ている、断熱材が入っていない、諸々一杯
  • ドア、反り防止がしていないので、変形
  • キャットウオーク、反り返りあり支えがおかしい
  • 床、クッション材が入っていない

 

【リフォーム業者の主張】
許して下さい、そこまでは出来ません。

その代わりにキャットウオークを作り直させてもらいます。

・・なぜそこに行く?

 

「検討させてください」

一級建築士のいつものセリフを私も言ってみました。

打ち合わせに来ていた一級建築士のYさんが帰った後、なぜなのか考えてみた。

お茶をすすりながらキャットウオークを見る。

(なるほどお・・板一枚交換するだけだから、リーズナブルなんだ。)

と彼の思惑が見えてきました。

 

2回目の話し合い

【私の主張】
食器棚を作り直してください、他は直さなくても良いです。

 

【一級建築士Yさんの主張】
持ち帰って、検討させてください

(毎度~~)即答とはいかないんですよ。

彼が帰った後のテーブルを見ると、手が置かれていたであろう所に汗の名残が・・

 

・・・彼も必死かあ

そして、11月の末

「食器棚を作り変えます」

と言う回答をいただき、作り直してもらう事になりました。

そしてリフォームは来年に続く

来年ですよ、来年

長い道のり・・・何なんだろう?これ。

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」