大地との〈絆〉を取り戻す収穫の舞

ある晴れた日、大根2本と人参10本を収穫しました。

その画像を、エックスの方に投稿したのですが気づきました?

 

春に近くの農園から大根と人参のオーナーにならないか?

という募集があり、応募して、今回の収穫となりました。

やってみると、自分が獲った獲物は可愛い♥

【可愛いい】ですよ、美味しいではなくて。

採れたことも嬉しい♥

 

これってたぶん農家さんや漁師さんが感じる、喜びであり

果てはインディオや、アイヌの人たちが寿いだ事に通じるはずなんじゃないかな?

 

収穫への感謝♡

ありがたいという気持ちは、スーパーの買い物では得られないものです。

お店で買ったものはただの商品、命をいただいたとは感じられない。

でも、効して、自分で土から掘り出してみると命だ、と実感する。

YouTube/大地との絆を取り戻す収穫の舞

 

つながりが絶たれていたものが、つなぎ直された感じ

これが大地とのつながりと言うものかもしれない。

 

工業製品に囲まれて暮らす私たち

腐りもしないプラスティックに慣れてしまった私たち。

 

土から切り離されてしまった暮らしだけれど

命への感謝、自然のサイクルへの感謝を思い出していけば

もう一度、取り戻せる感覚では無いでしょうか?

 

暮らしていく中で、なんとなく・・

ふっとにじみ出てくる悲しみ、孤独感、虚しさ・・

大地とのつながりを失ってしまった孤立感が感じさせるのかもしれません。

 

人の社会は、私が人参を土から掘り起こしたとして何の影響もないけれど

地球はきっと喜ぶ。

「お帰り」

と言って迎えてくれるはず

やっと帰ってきたね・・ってね。

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」