たとえ、ASCENSIONのアラームが鳴ったとしても

ある日下がり、お茶の時間

紅茶とクッキーをテーブルを置いて話をする。

室内に入ってくる秋の日差しは、少し眩しい。

(こいつ何もわかってないんだあ)

と思って話を聞いている私。

この惑星がASCENSIONしたことは知っている?と聞くと

「しばらく前から知っていた」

と木霊が返ってくる。

「来年が大切な年だって言うことは知ってる?」

と聞くと、知っていると即答。

「3次元的なものは、崩壊していくよ」

「知ってる」

・・・・そうなんだ。

そこに立ってると危ないよ、と言うと

「すぐにじゃないでしょ!」

と言って、スマホに目が行く。

人間っていうものは、変なものだな。

とテーブルの向こうをじっと見つめる。

だったら、

(何も言う必要ないよね〜。)

私は黙ってお茶を啜る

こいつ目覚ましが鳴ったとしても、音を止めてもう一度寝る奴だ!

と確信する

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ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」