高野山/BOSSの帰還が予言されているのなら

我が家は、ひい爺様の頃から真言宗

ひい爺様が子供の頃に

下に~下にの大名行列を見たというのは子々孫々が散々聞いた話です。

だから、高野山はまさに聖地巡礼なわけ。

真言宗では

弥勒の世に弘法大師が降臨するという話が信じられています。

(大雑把な話)

たまたまですが日本には

「お客様は神様です」

という古くからのおもてなしの思想があります。

奇遇です( ´∀` )ね。

弘法大師が降臨する時

どうやって来るのでしょう?

  • 蓮の花を散らして?
  • 光り輝く金の雲に乗って?
  • 空から降りてくるのでしょうか?

輪廻を繰り返して、名も知れぬ一人の人間として高野山を訪れるのでしょうか?

弘法大師はとても天才的だったと聞きますので、きっと思わぬ在り方で顕現するのでしょう。

名もなき、一人の人間として高野山を訪れるかもしれません。

高野山は有象無象の観光客に混ざる自分達のBOSSを、自分たちのナンバーワンを見つけ出せるでしょうか?

見かけや、お布施、もしくは宿泊プランで判断していたら、迷わされますね?

高野山のお坊様たちはせっかく予言があるのなら、それに準じればいいのに。

来た人を、

【この人が弘法大師の生まれ変わり】

と思って接っすれば、どちらもHappy♥

WIN WINになるのに。

宗教施設だと違うのかあ・・

でもそうすれば、観光地でなくいつまでも聖地と呼ばれるんじゃないかな?

蛇足〜〜〜

そう言えば、奈良に天理教がありますよね、

あの宗教は帰依していない人にも、親切ですよ。

私は迷子になった時に2回、助けてもらいました。

参考までに(笑)

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ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」