私が一人でも続けると決めた事

高野山を下山したなら、さっさと嫌な事は忘れてしまえばいいのに?

私もそう思います。

その方が楽だし、私一人がギャーギャー言っても詮無い事ですよね。

でも、虚偽がそこにあります。

使命感があるわけじゃないけれど、気になります。

 

私がなぜこんなことをしているのか?

夏に北海道へ娘と出かけた時に

原野のど真ん中で娘に私が言ったのです。

・・一人でもやるか、やらないかのそれだけの違いだ

何の話だったか前後は忘れてしまいましたが

「ママは一人だから、やらない派だよね」

と言われてしまいました。

頭をガ~ンと殴られたようなものでした。

 

逃げ道をふさがれた!

どうせ私一人が何を言っても誰も聞く耳を持たないだろう。

私の話を信じる人はいない。

と、投げやりでした。

 

ブログやYouTubeでの発信もテキトーでいいや。

と匙を投げていたのですが

娘に一人だからやらないんだよね、と言われると

退路を断たれて、意思確認を迫られているのと同じでした。

(ちっ!・・やられたあ)

 

遥か、彼方の虚空を見上げるわけです。

とうとう言ってしまいました。

「一人でも、やります。」

 

それは遥かな宇宙に向けての宣言です。

 

それはね普賢院サンみたいなところをたたきます

と言う事でもないです。

普賢院サンはちょうどいい教材と言うか、ネタでした。

 

古い価値観の崩壊と言う、ちょうど良い例です。

 

一人でも続けていくものは

アセンションとか、人の成長とか、魂とか、地球の未来とか

もろもろの事を伝えていくという事です。

私が理解した事、失敗から得た事、インスピレーションとして受け取ったことetc

理解してくれる人がたった一人だとしても、たとえいなくても

宇宙とアラインメントし、上昇していくルートを伝える。

 

それが私が一人でもする、と覚悟を決めた事です。

 

いつか、誰かがここに来てくれると信じて。

 

 

 

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」