高野山/宿坊普賢院/ 高野山の善意は<下界の不誠実>

最近の幼稚園はハイカラです( ´∀` )

近くに幼稚園があって、今日は運動会らしいのですが

聞こえてくる音楽がクィーンです。

園長先生はセンスがいい♡

 

普賢院HPを参照、女性一名限定部屋【新下】を見つけてみよう

さてさて、今日も普賢院サンの話です。

宿坊普賢院

こちらのホームページを開くと部屋数の説明があり

壁仕切り個室(36室)・ふすま仕切り(8室)
大広間(1室)・中広間(1室)

とあります。

36+8+1+1=46

 

フォトギャラリーがあって

ここに部屋の紹介がありますが

部屋数、総数46に対して

画像は45

寺で一番良い部屋【新下】は紹介されていません

これって、出張した男性がネットで素敵な女性を見つけてホテルの部屋に呼んだら

ネットとは別物が来た・・と同じ話ですよね(笑)

 

宿坊協会の所長さんとの話<詐欺疑惑>

感じの良いお声の方で、善良そうでしたよ

「これって‥詐欺じゃないですか?」

と言うと

「はい。」

と仰ってました。

普賢院は罪作りですね。

 

宿坊協会の所長さんとの話<おかあさん>

所長さんのお母さんはご存命ですか?

と聞くと、ハイと仰っていました。

「お母さんをあのカビ部屋に泊まらせたいですか?」

と聞くと、

「泊まらせたくないです。」

とのお答えでした。

 

それが当然ですよ。

身内を泊められないような部屋は宿坊に使わない。

それが常識と言うかマナーと言うか、ですよ。

 

普賢院の住職さんに聞くのが一番なのでしょうが

彼は部屋で一番良い部屋だというのですから、きっとお母さんも奥さんも

あっ、違うな。

 

自分で使ってみたら?と言ったら

それはKACOさんの考え方ですから、とかわしていたな

返事はしなかった。

あくまでも善意で提供していると言ってました。

高野山の善意は下界とは違うようです。

 

私がなぜこんなことをしているのか?

こんなことどうでも良いと思う人もいるでしょう。

馬鹿な事をやっていると思うかもしれません。

 

夏に北海道へ娘と出かけた時に

原野のど真ん中で娘と約束したからです。

どんな約束なのかは、また違う時に

 

 

 

 

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」