高野山/宿坊普賢院/三千世界の理につまづく

普賢院では入る時に笑顔ので迎え

寺を出る時には、吐き捨てるようでした。

「宿泊料はいただきません。」の意味は?口止め料かな?

ご厚意だと思ってお受けしましたが

あれは口止め料だったのでしょうか?

私が歩いた町石道

気が付かなかったな。

細かく書き立てて申し訳なかったかしら?

でも寺で一番良い部屋を私がどう感じるかは個人の自由だと

と言い切っていたし、私が自分の考えを表現することにも

何の差し障りもないでしょう。

 

普賢院の住職はまるで神話やおとぎ話に出て来る人のよう

シンデレラの場合

確かシンデレラは継母と姉たちが邪険にしたおばあさんに親切したら

そのおばあさんがフェリーゴッドマザーで魔法をかけてくれた。

そしてみんなが知る、ハッピーエンドに♡

 

ギリシャ神話の場合

ある時、ゼウスとアポロンが貧しい旅人に扮して、村へ行く。

食べ物を分け与えてくれと頼むけれど村人は歯牙にもかけない

村から離れて暮らす老夫婦だけが親切に歓待する

二人の神は正体を現して、村を水に沈め、村人は魚にしてしまう。

その後老夫婦は幸せに暮らしましたとさ

(私だったら、魚にした村人はフライにして食べるけどなあ。)

 

 

悪人は明るみに出るまで、続けるもの

↑夫の名言

欲に目が眩んだ人は魂の本質が見えない。

惑わされて強そうな者、立派な者に媚びへつらい、自分よりも弱いものを笑う。

でも、真実の力は経済や名声の中にあるわけでは無い。

ただ観察し、裁定を下す。

真実を理解する者には力を貸す。

語り伝えられる話って理を伝えるものですね

 

普賢院の住職には私が何なの察せられなかった。

【男は女よりも上、女一人どうとでもなる】

と言うフィルターがかかっていたから、ですよね。

 

外界のサイキックだったらすぐに気づくだろうに。

こいつはしつこい、ってね( ´∀` )

カミングアウトしても平気な奴って

権力とか資金とか人脈とか関係ないところにいるものよ。

 

 

追記:南無遍照金剛は遥か過去

室戸岬の朝日は美しかった・・・

水平線から上がる太陽

あれを見て、大日と呼ぶ気持ちもわかる

 

カツオの刺身も美味しかった。

あそこには星のやの経営するホテルがあってカツオが絶品、ぜひお試しを。

確か海洋深海水?もありました。

 

 

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」