高野山/宿坊普賢院/アセンションとシンクロニシティ

高野山の宿坊に宿泊して、鍵のかからない部屋に私たちが泊まれるのは

信頼があるからなのに、見事に裏切りました。

こうやって聖地は自ら崩れていくのかしら?

空海さんが死んでるとか生きてるとか、ミロクの世に蘇るとか?

いろいろ言われているようですが

高野山では今何が起きているのでしょう?

 

高野山で今、起きている事

場の崩壊でしょう。

かつて聖域としてあった場所が、高い周波数を維持できなくなった。

聖地は閉じてしまったようです。

歩いて大門へ上がり、私はそのまま奥の院へ向かいました。

神聖な場所は、普通の場所になっていました。

 

以前は石畳の上が現世、左右は虚空のようなものだったのに

今は360度、3次元世界。

さすがに御廟の周囲はまだ霊気がありましたが、一の橋辺りは悲惨。

 

地球では何が起きているでしょう?

もっと視点をあげて、地球を一つの惑星としてみましょう。

地球そのものの波動が上がり続けています。

すでにアセンションしている事もあって、物質的なものは日々脆弱になっています。

要するに、かつては隠せたものが隠せなくなってきているのが今です。

霊主体従とよく耳にするでしょう?

あれです。

 

以前だったら、隠せていたことが明るみに出てしまった。

それだけ、今の地球の波動と共鳴していない、と言う事です。

高野山にそれを覆い隠すための力もなくなっている。

サンチュアリとしての場の周波数が乱れているから

 

次元と言う視点で考えてみましょう

地球はアセンション前のものを振るい落としているところです。

地球は日々周波数をあげています。

一番それについていけていないのが人間社会かもしれません。

今の地球では・・

 

3次元的な価値観高次元的な価値観が対決すると?

古いほうが崩壊します。

 

低い波動のものと高い波動のものが衝突すると

低いほうに困難が起こります。

  • 女は男よりも劣る存在だ
  • 女一人は弱いから、男の言いなり、粗末に扱って良い。

 

と言う古い価値観が、私とぶつかっちゃったんですよね。

私はあのカビ部屋が自分に相応しいとは思っていません。

 

だって、みんな小学生の頃から、もっと前から

男女平等と習ってきませんでした?

支払ったお金に対して正当なものを提供してもらうのが当然

と、思ってませんか?

 

宇宙の調和と言う視点で見ると?

さて、宇宙の均衡バランスと言う事を念頭に置くと

今回の事はどう見えるでしょう。

 

宇宙はどういうところを目指して運行してると思います?

今は収縮期でしょうか?

それとも拡張期でしょうか?

 

宇宙の収縮期には分離が進みます。

拡大期には、統合が促進されます。

 

人はその流れの中で人生を送るものですから

宇宙にシンクロして人生を創造する方がうまくいきます。

だから、高野山で起きたことはとても暗示的で時代を象徴していると思います。

 

 

 

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」