高野山宿坊/普賢院/時代の転換点

こんにちは

秋らしく気温が下がってきましたね。

高野山は少し葉っぱが黄色く色づいていました。

このところ高野山案件で盛り上がっていますが

KACOさん、またキリキリして( ´∀` )

と思うあなたは、甘い。

 

これ大事な事を象徴しているのです。

もう少し、普賢院での事を話そうかな。

その時はなんも感じなかったけれど、もしかしたら

ハンプティダンプティよろしく、危ないところを無難に済ませられたのかもしれない。

と今になって思うのです。

 

普賢院での状況をもう一度

  1. 木造の暗い本堂の一番奥部屋、一階に一室だけ
  2. 寺の関係者は、本堂の反対側にいて、ほかの宿泊客は二階
  3. 恐ろしいほどボロでカビ充満の部屋
  4. 入口は内側から鍵がかからない
  5. もう一つある庭につながるガラス戸は鍵がない
  6. 廊下の突き当りの壁であるところは、実は出入り口だった。
  7. 【女性一名限定プラン】と銘打っている

これだけの状況設定があると

私は犯罪ミステリーの脚本が書けそう。

今まで苦情を言った人がいない
と言う寺側の主張

本当に?と思ってしまうのは私だけ?

  • 本当に苦情がない=納得しているだろうか?
  • もみ消したのではないか?
  • 言えないような、何かがあったのではないか?

と、邪推してしまう私は、汚れているだろうか( ´∀` )

 

 

でも、家に戻ってきて思い返すと・・恐い

もしあのままだったら

●夜の9時に、部屋替えを頼まなかったら、どうなっていたのか?

  • 一晩たった私の肺は無事だったろうか?
  • 何か不穏な事が起きたのだろうか?

 

●朝の4時に、廊下で合った住職に部屋の事で話がしたいというと、なぜ執拗に、今、話しましょうと言われたのか

  • Yesと言ったら?どう展開したのだろう?
  • 廊下で済む話だったろうか?

 

 

普賢院には一般女性スタッフがいます

部屋替えを頼みに行ったときに、見たのですが

住職の奥さん的な人いました。

朝に住職さんに話をしようと思って探しに行ったら

下界で言うところ、給食のおばちゃんみたいな人がいました。

 

宿望で一般女性を見たのは初めてです。

煮炊き禁止だったはずの高野山で、普賢院は煮炊きをしているようです。

以前とは規制が緩くなったのでしょうか?

たまたま一緒に旅をした女性が高野山で修業した宗教関係者で

高野山は煮炊き禁止で、食事は下界から運ぶ

と聞いたのですが・・

まあ、それは置いておいて

 

 

普賢院では尼ではない一般女性が働いています

住職の奥様もいます、もちろん女性です。

女性であるのに、あの酷い女性限定プランを黙認していた責任は重いと思います。

女性に対してひどい扱いが行われているのを知りながら黙認。

同性なのに?・・実は男性?

そこから自身も、当然、生活の糧を得ていますよね

さぞかしご飯が美味しかったでしょう。

 

高野山で女性が暮らすという事は尊厳を損なう事なの?

男性中心社会で暮らすと女性にも尊厳がある、と言う意識を失ってしまうのかしら?

もしかしたら意識も迷妄するくらい女性自身がひどい扱いを受けている。

と言う事なのでしょうか?

自身がひどい扱いを受けいて、それを当然として受け入れていれば

高野山に来る女性が劣悪な扱いを受けようと気が付かないはずです。

擁護するべきは誰なのでしょう。

 

嫌な橋ばかりですが、これは全部新しい時代の黎明を告げています。

それだけが幸いです。

長くなってしまいましたので、時代の転換については次にしましょう。

良い一日をお過ごしください

 

 

 

 

 

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」