北海道旅/サロマ湖畔の夕陽

今、私は女満別空港の出発ロビーで力なく椅子に腰を下ろしています

アナウスが羽田行きの飛行機の遅延を伝えたばかりです。

 

今は午後1時、出発は午後3時、窓の外は快晴です。

この数日・・・日常を思い出す暇もなかった

 

旅、一日目

羽田から女満別空港にたどり着いた時は曇り空でした。

北の風は少し肌寒くて、さらに北のサロマ湖を目指します。

美しい夕日は本当に待っているかしら?

期待がポツンポツンと湧き上がってきます。

地球最後の日に、ここにいたいと思える場所かしら?

美しさに圧倒される場所、潔くいられる場所。

そんな場所は見つかるのかしら?

そんな場所を見つける事もこの旅の目的の一つです。

もう一つは、推しさん♡

私の推しさん、アイヌの彫刻家の作品を追いかける旅

 

飛行機で3時間、さらに車で60分

その夕陽は如何に?

・・・・・・綺麗はキレイなんだけどね

特にここじゃなくても良いかな。

地球最後の日に交通費かけて、ここまで来なくてもいいわ。

と、思った。

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」