弱肉強食から外れてしまったはずの私

KACOです。

我が家はリフォームで揉めまくっているのをあなたはご存じですか?

春からの工事でのストレス、

その後の悶々としたもろもろの結果、とてもエネルギーを消耗しまったようです。

人はある程度問題との距離が離れていないと、自覚が出来ない。

私も渦中で溺れ切っている、とは思いませんでした。

いつの間にか飢えている。

と言うほどエネルギー不足の落ちっていたようです。

 

 

精妙なエネルギーは高次元や、神性とのつながりによって、回復しますが

私が不足してしまったエネルギーはもっと野性的なもの、肉体的なものだったのです。

疲労が慢性化して、消化の難しい糖質を受け付けなくなりました。

俗にいう、糖質疲労でしょうか?

このエネルギーの不足、どうやって解消すればいいのか?

【食べずに消化器を休める】は不正解でした。

さらに動けなくなりました。

 

食べる?

今までと同じものでも疲れてしまって、NG

どうすれば良いのか?

この人生で初めてと言うほど、食生活が変わりました。

私はたんぱく質を求めたのです。

 

 

これまでは星の雫、草の露を飲んで生きてます。

みたいな食生活でしたが、変わりました。

植物性のたんぱく質ではNG、海のものも違う。

信じられないことに、獣肉が一番なのです。

 

自然食に近くなりました。

今まで食べていたものが美味しくなくなり、避けていたお肉が美味しい。

自分でも信じられません。

ある人にそれを言うと

「それは肉体的に本当に疲弊しているのよ」

「お肉はエネルギー的にはRED、赤、生命力だから」

 

 

ストン、と落ちます。

命が命を支え合う地球。

自然界にはプラスチックもコンビニも無いのです。

命は命で購うしかない。

私もこの星にいる以上、命が擦り減った分は、命をいただくしかない。

お肉を食べます。

手を合わせて、ありがとうと言います。

 

秋のジビエがやたら美味しい。

鹿のパテ、そう言えば、出産した時も助けてもらいました。

弱肉強食のサイクルを抜けて、

プラステックやコンビニを頼りに生きていたはずなのに、

肝心なところは、命、生命力をいただいて凌いでいます。

「ありがとうございます」

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」