今を生きる彼らと、未来を模索する私

若い頃は・・

私たちはと言う意識の中でふわふわとした夢を見ていたような気がします。

 

結婚して、7年間の空白の期間とそのあとの時間

私は鳥かごの中にいたようなものでした。

 

安全は確保するから、自分で空を飛ぶことは禁止

見えない標語が書かれていた気がします。

結婚すると進歩的と言われていた夫は保守に回り

母と二人で、私を

「お前には出来る事なんかない、お前は無能で弱い」

そう見下していました。

 

家庭内では私が最下層。

なので、自然と自分は非力な人間だ、と思い込む世になりました。

非力な人間でも戦わなくてならない時が来ます。

もう一人の誰かと対決する時

私は自分は弱い、相手は強い、と言う設定で動くので・・

私は精一杯の攻撃をします。

 

だって、弱いのですから、強い相手に立ち向かう時は当然でしょう。

手加減をする必要がどこにあります?

 

そうするとね・・

なぜか、相手がKOされちゃうのです。

私に、弱いはずの私に。

えっ?・・とは思うのですが

自分が強いかもしれない、と言う発想には至らないのです。

不思議ですよね。

 

なぜ、弱いはずの私が出来る事が、強いあなたたちは出来ないの?

私が出来る事は、みんな出来るよね?

だって、私より大人で強いのでしょう?

私が出来る事はみんなが出来て当然、と思っていました。

私は苦しくても心の傷と向かい合って、、、癒していく。

なぜ、みんな、心の傷を認められないの?

なぜ、無いものとして、通り過ぎるの?

なぜ?ここにあるよ、と教えると、牙をむくの?

 

最近やっと、この辺りが分かってきました。

人にはタイミングがある、と。

私には今がタイミング、彼らにはそれぞれのタイミングがある。

 

それだけの事のようです。

そのタイミングが来るまで、彼らは今を生き

私は未来を模索する。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

ABOUTこの記事をかいた人

ようこそ、いらっしゃいませ。あなたが来てくれてうれしいです 振り返ってみると幼い頃の記憶は幼稚園の入園式から、それ以前はあやふやです。小学生の頃の夢は宇宙飛行士、中学生の頃は漫画家。けど誰にも言えなくて、もっと現実的な美術系の学校に行くことにしました。 でも、大学受験コケました。合格圏にいたはずの4年生大学を面接で失敗、その年は補欠の繰り上がりも無く、あえなく短大へ。人生の厳しさを知った春でした。ショックだった。でも今思うと、それは必然だったと思う。だって、その短大に行かないと出会えないと言う人が未来で待っていたから。いわゆる前世の恋人。 前世をトレースするかのように恋をして、同じように破局しました。私としては成就させたかったのだけれど・・ ここでも、ショックでフリーズした私を見逃さなかったのが実の母。 失恋の痛手で自己愛も自尊心も遥かにゼロに近くなっていた私は母の言いなりに見合いをして結婚してしました。 そこからが魂の修行の日々、過酷だったあ。 結婚して7年間は本当の自分を箱に入れて、母の言いなり、お人形のような生活に甘んじました。 7年目の早春、はっと我に返って唖然としました。 嫌いなものを黙って受け入れた人生は、大嫌いなもので満ち溢れていました。ウンザリしました。乳飲み子を含む三人の子どもがいて、介護一歩手前の祖父母がいて、しがみついて話さない母親、好みじゃない夫。 ここから私がもともといた場所までは遥かに遠い、地の果てまで飛ばされたかのようです。 ここから自分を取り戻していく泥沼を歩くような人生が始まりました。 手始めに人生で初めて母に「NO!」と言い、ついでに夫にも「これ以上子どもは生まないから。」と言いました。 弱い、と思っていた存在が逆らうと、ハチの巣を突っついたような気分になるようで、二人からの風当たりは強くなりました。 それでも後戻りする気はないし、前進あるのみ、心理学を学び、精神世界へ足を踏み入れました。そのうち直観力も自然に身につき、良きメンターに巡り合いました。 今思えば敵と思っていた存在が一番のメンターだったかもしれない。彼らがいなくて、ただの幸せな人生だったら、ここまで来なかった。 今、使命を実行できるのも彼らのおかげです。この場を借りて「ありがとう」